北原白秋

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微かにも 光る虫あり 三味線の 弾きすてられし こまのほとりに

蟋蟀ならば ひとり鳴きても ありぬべし ひとり鳴きても 夜は明けぬべし

円喬の するりと羽織 すべらする かろき手つきに こほろぎの鳴く

太棹の ぴんと鳴りたる 手元より 夜のかなしみや 眼をあけにけむ

黒き猫 しづかに歩み さりにけり 昇菊の絃 切れしたまゆら

きりきりと 切れし二の絃 つぎ合せ 締むるこころか 秋のをはりに

常磐津の 連弾の撥 いちやうに 白く光りて 夜のふけにけり

百舌啼けば 紺の腹掛 新らしき わかき大工も 涙ながしぬ

いらいらと 葱の畑を ゆくときの 心ぼそさや 百舌啼きしきる

いつのまに 刈り干しにけむ 甘蔗黍 刈り干しにけむ あはれ百舌啼く

水すまし 夕日光れば しみじみと 跳ねてつるめり 秋の水面に

鶏頭の 血のしたたれる 厩にも 秋のあはれの 見ゆる汽車みち

三月まへ 穂麦のびたる 畑なりき いま血のごとく 鶏頭の咲く

柔かき 光の中に あをあをと 脚ふるはして 啼く虫もあり

かかれとて 虫の寡婦は 啼かざらむ 鴉細かに 啄みにけり

武蔵野の だんだん畑の 唐辛子 いまあかあかと刈り干しにけれ

あかあかと 胡椒刈り干せ とめどなく 涙ながるる 胡椒刈り干せ

父親と その子の三次 ひと日赤く 胡椒刈り干せど 物言はずけり

男子らは 心しくしく 墾畑の 赤き胡椒を 刈り干しつくす

黄なる日に 錆びし姿見鏡 てり かへし 人あらなくに 百舌啼きしきる

いつのまに 黄なる火となり ちりにけむ 青さいかちの 小さき葉のゆめ

都大路 いまだゆらげる 橡の葉に 日向雨こそ ふりいでにけれ

午前八時 すずかけの木の かげはしる 電車の霜も なつかしきかな

ただしづかに 金のよき葉の ちりかへり いかばかり秋は かなしかるらむ

わが友の 黒く光れる 瞳より 恐ろしきなし 秋ふけわたる

和歌と俳句