「今回もかなり良くまとまっているな、ここまで仕上げるのは大変だっただろう」
社内でも評判の鬼上司から掛けられたねぎらいの言葉に、思わず心の中で「やったーっ!」と叫んでいた。
「あっ、ありがとうございます」
もちろん、返答は感情を抑えてさりげなく。ああ、でも胸のドキドキがとまらないっ……!
「先日、君がまとめてくれた資料もクライアント側にわかりやすいと好評でね、お陰で商談もスムーズにまとまりそうだ。今後ともこの調子で頼むよ」
良かったぁ。最近導入されたばかりの新しいソフト、なかなか上手く使いこなせなくて四苦八苦していたんだ。でも休日返上で取り組んだらようやっと突破口が見えてきて、ホッとしてる。
「すごいじゃん、遥夏。あんなご機嫌な二宮課長は珍しいよ」
ふわふわ夢心地の足取りで自分の席に戻ると、隣の久美が小声で囁いてくる。
「ほーんと、最近のあんたはラッキー続きで羨ましいわ。少しはこっちにもツキを回してよ?」
唇を尖らせながらそんな風に言われても、こっちは曖昧な笑顔で応えるしかない。
うーん、実際のところ自分でもよくわからないの。でも確かに、この頃の私は驚いちゃうくらい幸運続き。こういくつも繋がると、さすがに「大丈夫かな」と不安になってくる。
「まー、いいわ。今日のランチはこっちの愚痴にとことん付き合ってもらうから」
まるで久美のその言葉を待っていたかのように、時計の針が長短二本とも真上を向いてランチタイム開始を告げていた。
まだ建てられてから数年の真新しいオフィスビル。シャーベットブルーを基調とした制服もとてもオシャレで、会社訪問のときから「いいな〜」と思ってた。だから、ここの会社の内定をもらったときはすごく嬉しかったな。
でも、実際に働き出してみるとわからないことだらけ。それでも尊敬できる先輩方をお手本に見よう見まねで頑張って丸二年、ようやく勝手がわかってきた感じだ。
「わ〜、やっぱりこのシーズンはどこも人が多いね」
セルフサービスの列に先に並んだ久美が、私の分のトレイを手渡してくれる。
「すごいね、座る場所あるかなあ」
確かに久美の言うとおり、一月ほど前とはラウンジの風景が一変している。四月は年度の切り替え、短い新人研修を終えたフレッシュな顔ぶれが、どどっとやって来る季節だ。みんなまだ右も左もわからない状態だから、ランチ休憩と言えばここに来るものだと思っているんだろうな。
「大丈夫だよ、ふたり分くらいならどうにかなるって」
この辺りはオフィスビルがずらりと建ち並んでいることもあって、手頃な値段で美味しく食べられる食堂や軽食店も多い。しばらく経つと皆お気に入りの場所を見つけて散っていくんだよね、だからしばらくの辛抱なの。
今日のふたりがオーダーしたのは「ランチBセット」、白身魚のフライがメインのワンプレートメニューだ。ラウンジメニューの欠点は全体的に分量が控えめで、とくに野菜とフルーツが少ないこと。だから私たちは毎朝出勤前にコンビニでフルーツヨーグルトとかサラダとかを買って一緒に食べることにしてる。
「まあ、昨日の合コンは不参加が正解だったわね。ホント、時間の無駄だったわ」
せわしなくフォークを動かしつつ、久美は先ほど宣言したとおりに昨夜の鬱憤をまき散らす。
「アパレル関係の会社って言うから期待してたのにさ、口を開けば自慢話ばっかりで嫌になっちゃった。全く、あんな場所に出会いを求めちゃ駄目ね〜」
そうかあ、残念な顔ぶれだったんだな。久美、かなり期待してたもんね。そりゃ、がっかりだっただろう。
「それに引き替え、遥夏は羨ましいわ〜。ほらっ、噂をすれば――」
久美の視線が私をすり抜けてもっと遠くを捉えたから、つられて振り返る。そこには食事を終えたばかりのスーツ姿の一団がいて、トレイを持って歩き始めるその姿に周囲からの注目が集まっていた。
そう、あれは我が企画開発部の若手男性陣。花形部署の面々だけに、見るからに自信に満ち溢れている。
「う〜ん、身内びいきになっちゃうけど、やっぱり格好いいね。でもひときわ目を引くのは、武内さんだなー」
まるで久美のその声が聞こえたかのように、一団の中でもひときわ長身のひとりがこちらを振り向く。ぴたっと目が合った瞬間に、思わずぺこっと頭を下げていた。
「……うわっ、見せつけてくれちゃって」
久美の呆れた声に、頬が熱くなる。うわ、そんな大声で言わなくたっていいじゃない。恥ずかしいよ〜。
「あ〜、信じられない! どうして遥夏が若手ナンバーワンの武内さんから告られるの? 神様って不公平だわ」
まあ、久美はいつでも何でも隠さずに言ってくれるし、こんな風に憎まれ口を叩かれてもあまり落ち込まない。
とはいえ、私だって未だに信じられないわよ。
入社した頃からずっと密かに憧れていた武内さんからいきなり食事に誘われたのは一週間ほど前のことになる。
「個人的に付き合いたいと思っているんだけど」
――えっ、何それ……!?
冗談でもあり得ないって思ってその顔を見上げたら、真っ直ぐな瞳でにっこりと微笑まれちゃった。
「どうしたの? 僕が相手じゃ、気に入らないかな」
武内さんと言えば、仕事中に「これ、コピーしておいて」と声を掛けられるだけでときめいてしまうほどの相手。それが……こんな直接的な言葉、どうしたらいいの。
「いっ、いえ! まさか、とても嬉しいです!」
あまりにも恐れ多いとは思ったものの、断る理由なんてどこにある? 嬉しい、嬉しすぎる。憧れの武内さんが私のことをそんな風に想っていてくれたなんて……!
もちろん、「個人的なお付き合い」なんて具体的にどうするものなのかもわかってなかった。でも次の朝に出社すると、部署内の人たちはみんな私たちのことを知っていて口々に「おめでとう」って言われて……なんかもう、夢みたい。
「でもさー、武内さんってつい最近まで秘書課の宮田さんと付き合ってなかった? ゴールインも間近って聞いてたんだけど、そっちはどうなっているのよ」
さすが久美、こっちも密かに気にしていることをズバッと言ってくれる。
「そ、そんなの……聞けないよ」
あのあと、仕事帰りに二度ほど食事に誘われたけど、テーブルに向かい合って座っているだけで胸がいっぱいになっちゃうの。街中を並んで歩けば、すれ違う女性の視線がすべて彼に釘付けになっていることを目の当たりにしちゃうし……どうしてこんなすごい人が私を、なんて考え始めると止まらなくなる。
「ま、い〜じゃん! 結局のとこ、愛されているんだしさ!」
さ、そろそろ戻ろうかって、久美が立ち上がったから、私も慌ててそのあとに続く。
「――あ、」
でも歩き出したかと思ったらすぐに立ち止まるんだもの、思わずぶつかりそうになったわ。
「ど、どうしたの」
「ほら、あのコでしょ? 例のアメリカ帰り!」
両手のふさがっている久美が顎で指し示すその方向には、先ほどの武内さんたちと同じくらい女性社員一同の視線を集めている人物がいた。
「……アメリカ帰り?」
女の私が言うのもなんだけど、かなり可愛い系の男の子だと思う。某イケメンアイドルグループにいても全然おかしくないレベル、こうやって一般社会にいたら目立ちまくりになるのも無理はない。
「何? 幸せボケの遥夏はそんなことも知らないの?」
キラキラ少年の周りには女性社員がずらずらと続いている。何かもう、ついて行けない世界だわ。
「彼は今関翔平くん。この春、ウチと姉妹提携しているアメリカの会社からやってきたのよ。海外生活が長くて五カ国語を使いこなすバイリンガル……じゃなくて何て言うんだっけ。とにかく海外の取引先にも受けが良くて、今や営業部のホープって言われてるわ」
ふーん、そうなんだ。見た目に似合わず、何だかすごそうな人だわ。
「何よ、気のなさそうな顔。そりゃ、遥夏には武内さんがいるから関係ないでしょうけど! 今関くんは私たちと同期になるんだよ、どこかで顔を合わせる機会もあるかもじゃない。ここは私も希望を高く持って頑張らなくちゃ……!」
トレイを置いた久美が握り拳を高く掲げたそのとき、新入社員らしき女の子が「今関くん」にすり寄っているのが見えた。
「あ、むかつく! 何よ、同級生だと思って偉そうに」
すぐさま、久美が吐いたコメントに、え? と思った。
「同級生? ……だって、彼は私たちの同期なんでしょう?」
すると久美はその質問を待ってましたとばかり、ふふんと胸を張る。
「あのね、幸せボケの遥夏さん。教えてあげるわ、彼は確かに私たちと同じ社会人三年目。でも、年齢はふたつ下なんだって」
「……?」
何それ、計算が全然合わないじゃない。そう思ってると、久美は私に「馬鹿だねぇ」って眼差しを投げかける。
「あっちの学校には飛び級っていうのがあるのを知らない? 成績が良ければ、どんどん学年を飛び越えることが出来るんだよ」
「そ、そうなんだ……」
何だかよくわからないけど、さらにすごい人みたいだ。もう一度その場所を見たら、先ほどまでの集団はきれいさっぱり消えている。
――なんか、今日のラウンジは「注目株」の男性社員てんこ盛りだったみたい……。
それが「嵐の前触れ」であったことなんて、そのときの私が知るはずもなかった。
つづく (100831)
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