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 小さなドアが再びノックされたのは、翌日の昼過ぎのことだった。
  だけど私は、いきなりその物音を聞いて驚いたわけではない。その前に長い廊下をこの突き当たりの部屋まで進んでくる足音がずっと響いていた。
「……はっ、遥夏さん……!」
  こちらが返事をする前に、乱暴な音を立ててドアが開く。そして飛び込んできたその人は、どうしちゃったのと思うような姿だった。
「え、……今関くん?」
  彼と顔を合わせるのは数日ぶり。その間に携帯でのやりとりは一度あったものの、面と向かうのはあの夜以来になる。いつもはぴしっと着こなしているはずのスーツが、びっくりするくらい乱れていた。ネクタイも今にも上着の胸元から飛び出しそうになってる。
「何なんですか、これは! いったい、どういうことなんです……!?」
  かなり慌てている様子、いきなりまくし立ててくるけど話がまったく伝わってこない状態だ。
「ええと、……今関くんが、どうしてここに?」
  今にも食ってかかってきそうな形相である彼に対し、私は気が抜けるほどのんびりとした対応をしてしまった。
  彼が部屋にやってきたときの私は、会場設営のためのレイアウトをホワイトボードでシミュレーションしている最中だった。用意するべき座席数はあらかじめ決まっているんだけど、その配置には毎年頭を悩ませることになる。少しずつ改善はされてきているものの、まだ問題点はいくつもある。
  せっかく考える時間があるんだから、だったらその辺も突き詰めて行きたいなと思ってた。……と言っても、実はだいぶ煮詰まっていたんだけど。
「どうしてもこうしてもありませんよ! ああっ、まずは手を止めて俺の話を聞いてください……!」
  そう言いながら、彼は私の手からマーカーを取り上げる。別に無視を決め込んだ訳でもないのに、随分と強引なことだと思う。
「今、必要書類を提出するために企画開発部まで行ったんです。そしたら、遥夏さんがいつもの席にいなくて、変だなと思って二宮課長に聞いたら、ここでひとりきりで作業しているって教えられて――」
  私を睨み付ける彼の瞳は、怒りの色に燃えていた。
「どうして。……どうして、何も話してくれなかったんですか! こんなことになっているなんて、俺は全然気づいてませんでしたよ……!」
  今関くんは頭の回転の速い人だ。だからきっと、部署内の空気にすぐに気づいてしまったんだろう。そして、何が原因で私が窮地に追い込まれているのかも、瞬時に察してしまったに違いない。
「え、だって……誰かに話してどうなることでもないと思ったから」
  これは強がりでも何でもなく、私のありのままの気持ちであった。そりゃ、突然の四面楚歌は辛かったよ。でもそれも自分の蒔いた種であるのなら、仕方ないって考えて。
「それに……困るよ、今関くん。この前、電話で言ったでしょう? 今、私と接触するのは絶対に良くないって。今ここに来てることを誰かに気づかれたら、あなたにまで疑いが掛けられちゃうよ」
  それだけは絶対に避けたいと思ってた。今回のことで彼が必要以上に責任を感じていることはわかっていたし、そうだったらこれ以上負荷を掛けるのは良くないし。
「今はそんなこと、考えているときではないでしょう……!」
  でもそれでも今関くんは引き下がらない。いつもながらの真っ直ぐな言葉で切り込んでくる。
「そんなに俺が信用できませんか、頼りない男に見えますか!? ひどいです、俺はいつだって遥夏さんの力になりたいと考えているのに、どうしてわかってくれないんですか」
「え、……でもっ」
「久美さんのことだって、きちんと話してくれればすぐに対応しました。俺は超能力者じゃありません、遥夏さんに今起こっていることを離れた場所にいて察知するのは不可能です。だからこそ、何でも正直に話して欲しかったのに」
  そんなこと、できるわけない。私だって、精一杯考えたんだよ。その上で最善の策だと思ったから、こうすることを選んだんじゃないの。
「だけど、それじゃ――」
  どうにかして、早く彼をこの部屋から外に出さなくちゃ。そのためにはとにかく説得しなくちゃ。
  気持ちはとても焦っているのに、なかなか上手く行かない。
  だって私は……心のどこかで、こうなることを望んでいたような気がするから。私が大変なことになっているって気づけば、今関くんはいつでも駆けつけてきてくれる。そして私の心が癒されるような言葉をたくさん掛けてくれる。そんな希望があったからこそ、今まで耐えてこられた。
  私を信じてくれる人が必ずひとりいるってことが、すごい勇気になっていたんだよ。だけど、だからといって実際に頼ることは無理って思ってた。
「今まで辛かったでしょう。でも、もう大丈夫です」
  ふわり、と目の前が暗くなる。そして次の瞬間に、私は彼の腕に包まれていた。
「もう離しません、何があっても。あんな男の好きなようになんてさせない、俺は全力で遥夏さんのことを守ります。最初にはっきり言ったでしょう、俺は遥夏さんに会うために日本に戻ってきたんですから」
  咄嗟に振り解こうと思ったものの、あまりの強い力に太刀打ちできなかった。そして、彼の鼓動に触れたとき、ふっと身体の力が抜けてしまう。
  ―― どうしよう、自分の気持ちが抑えられなくなってしまいそう。
「ひとりでどうにかしようなんて、もう止めてください。遥夏さんは何も悪くないじゃないですか、それなのにこんな仕打ち、絶対に許されることではありません!」
  今関くんは本気で怒ってくれている、発せられる言葉がひとつひとつ、くさびになって私の心に突き刺さってくる。そして生まれたほころびに、優しさがすっと入り込んできた。
  刹那、私の両目からとっくの昔に枯れ果てたと思っていた涙が溢れてくる。
「……うっ……」
  いきなり無実の罪を着せられて突き落とされて、本当に辛かった。絶対に信じてくれると思っていた久美からひどい態度を取られた。どうにか立ち向かいたいと思っても、その手段がまったく思いつかない。自分のふがいなさに呆れ果て、どうにかなりそうだった。
  頑張らなくちゃ、頑張らなくちゃと思う気持ちばかりが空回りを続ける。そうしているうちに、心が次第に追い詰められていった。
「今すぐに、あいつやあいつの仲間たちをこの手でボコボコにしてやりたい。でも、そうしたところで何の解決にもなりません。だから、……もう少しだけ耐えてください。ただ、もう遥夏さんはひとりではありません。俺がいつもそばにいますから」
  ―― そんなこと無理に決まってるのに、どうしてはっきりと言い切るの。
  ようやく腕が解かれて、私は彼を見上げることができた。きっと今の私は、非難の目をしていると思う。でも目の前の彼の眼差しはどこまでも優しい。
「ここの会場設営、ひとりでやるつもりだったんですか。その必要はありません、俺も手伝います」
  そう言って、傍らにある長テーブルをいきなり持ち上げるから、びっくり。
「えっ、……駄目だよ! こんなところにふたりでいたら、誰になんて言われるか。そのことが原因でプレゼンが上手く行かなくなったらどうするの。ちょっとは自分の置かれた立場を考えてくれないと……」
  すると彼は振り向いて、まるで私のその言葉を前もって知っていたかのように微笑む。
「ふたりきりだとマズいんですね? だったら、簡単なことです。もっとたくさん、仲間を呼びましょう」 そして今関くんは素早く携帯を取り出すと、何か操作した。でもその時間は一分足らず。
「今回の最終プレゼンに残ったメンバー、皆に声を掛けました。彼らはライバルでもありますが、同じ目標に向かって頑張っている仲間でもあるんです。今回のことがあって、ずいぶんと知り合いが増えたんですよ。……ま、一部例外もありますけどね」

 その言葉は本当だった。
  ものの五分も掛からないうちに、どやどやと五、六人の社員さんたちが集まってくる。そのすべてが今週金曜日の最終プレゼンの出場者だった。さらにその人たちと同部署の社員さんたちまでやってくる。そして私がただただぼんやりしているうちに、彼らは適材適所に散らばって効率よく仕事を始めていた。
「そうか、こんな風に通路を作れば移動がスムーズになるんだな」
「その机はこっち向きにした方がよく見えると思うよ?」
  そんな会話がそこここで聞かれて、今まで私が思いつきもしなかった新しいアイディアがどんどん飛び出してくる。
  私がほとんど口を挟む暇もないほどに作業はスムーズに進み、平面の床に当たり前の長テーブルを配置しながら、驚くほど立体的な会場に仕上げていった。
  ―― と、そこに。がらがらと台車の音が響いてくる。
「今関く〜ん、ちょっといい? そろそろ機材を運び込んでもいいかと思って持って来ちゃったんだけど。まずは配線がうまく行くかどうか調べてみないとね……」
  その声の主を確認して、私の思考が一時ストップする。
  ―― あれって、秘書課の宮田さんじゃない……!
  その声に今関くんもすぐに反応。ふたりは親しげに言葉を交わしている。そのうちに彼女は私の視線に気づいたのか、一瞬だけこちらに目を向けた。
「……」
  そのときの間合いを、どんな言葉を用いて表現したら的確だったのだろう。たぶん、擬態音で示すなら「バチバチ」と火花が散る感じ? とにかくあまり友好的な眼差しでなかったことだけは確かだ。そして、彼女は台車の荷物を他の人に任せると、今関くんを伴って廊下へと出て行った。
「―― あ、山内さん。ちょっと聞いていいかな?」
  作業してくれていた社員さんのひとりに声を掛けられて、私の物思いも一休み。
「はいっ、何でしょう?」
  分厚いファイルを抱えながら、私は声のした方向へ振り返っていた。

 

つづく (110311)

 

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