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 土日は天気が悪かったこともあって、そのほとんどを部屋でごろごろして過ごしていた。
  両親は遠方の親戚の法事があって泊まりで出掛けてしまい、実家にありながら気ままなひとり暮らし状態。食事もおなかが空いたら何かをつまむ程度、我ながら情けないと思いつつも身体が言うことをきかなかった。
  まるで、ぷつっと緊張の糸が切れてしまったみたい。
  ―― まあ、また週明けからは忙しくなるんだからね……。
  そろそろ会場設営を始めなくてはならない時期に来ている。各部署から借り受けるものについては、週末までにすべて手配済み。でも運搬作業やその他諸々の作業を考えると、気が重くなってくる。まあ、そのためにもこの休みは有効に使わなくては。……って、ただただ自堕落になっているだけだけど。
  ごろん、と寝返りを打って仰向けになると、壁に掛かっているカレンダーが目に付いた。
「あれーっ、まだ四月のままだ」
  こういうところにも、無気力さが表れている気がする。
  今からほんの一月前、その頃には何の心配ごともなかったし、それどころか目の前はバラ色でキラキラしていた気がする。なんたって、全女子社員の憧れの的である武内さんにお付き合いを申し込まれたばかりだったんだから。それこそ、一日に何度もほっぺをつねっちゃうくらい自分でも信じられなかったけど、その二倍も十倍も嬉しかった。
  それが……わずかの間にすべて変わってしまうなんて。
「ま、……これくらいが私らしいってことかな」
  そうだよね、最近の私は普通じゃなかったもの。そのしっぺ返しが一度にやって来たとしても仕方ない。あんな風に隔離された場所に置かれていても、日に何度かは用事があって出掛けた先で企画開発部の誰かと顔を合わせることになる。そのとき、彼らから向けられる憎悪の目。いくら言い訳を並べたところで、誰も私のことなんて信じてくれないって、それがわかっているだけに辛い。
  ―― 会社、このまま辞めちゃおうかな……。
  結局は、それが一番いい選択肢のような気がする。いずれ自分の疑いが晴れる日が来ることがあったとしても、一度こじれてしまった人間関係はその後も上手く行くことはないだろう。だったらすべてリセットして最初からやり直した方がいい気がする。
  もちろん、再就職が上手く行くとは思ってない。だけど、その苦労をプラスしたって今よりはマシ。とりあえずリアクションを起こすのは、次の金曜日の社内企画最終プレゼンテーションが終わってからにするつもり。でもそこにたどり着くまでには気持ちをしっかり固めておかなくては。
  ―― 何もかも放って逃げるなんて、きっと軽蔑されちゃうだろうな……。
  いったい誰に、って? ……もちろん、今関くんに、だよ。彼は私のことを勇気づけてくれたのに、その誠意に応えることができないなんて情けないな。だけど、実際問題、もう無理なんだもの。
  考えれば考えるほど、武内さんのことが恐ろしく思えてくる。彼はあらゆる意味で、私よりもずっとずっと頭の良い人間。ひとつの方法が上手く行かなかった場合の代替え策も、あらかじめ準備しているはず。こちらの出方次第ではすべてを水に流してくれる、なんて言ってたけど、そんなの絶対に無理、信用なんてできない。
  ……そもそも、彼の条件を呑むことなんて、無理に決まっているじゃない。
  私はどこまでも馬鹿な女だ、それは改めて誰から言われるまでもなく、自分でも十分にわかってる。だけど、わかったところでどうなることでもないんだよ。
  頭の中で次から次へとぐるぐる思考が渦巻いて、だけどそうしているうちにだんだん訳がわからなくなって、最後には考えること自体が無意味に思えてきてしまう。そして、頭の中が真っ白になって、しばらくはぼーっとして……それなのにまた、少しずつ考えが浮かんでくる。
  その繰り返し、朝からずっとずっとそんな感じ。きっと今日の私、一日中こんな風にして過ごしていくんだろうな。

「―― あれ、いたんだ!?」
  いつの間にか、うとうとしていたらしい。いきなり声を掛けられて、ハッとして目を開けると、そこには驚いた顔をした弟が立っていた。
「声を掛けても返事がないから、誰もいないんだと思ってた。父さんたちって、出掛けてるんだっけ?」
  頭の芯がぼーっとしたままで、すぐには記憶が繋がらない。そんな寝ぼけまなこな私を、弟は不思議そうに眺めてる。
「……あ、お帰り。そうか、今日戻るんだったっけ」
  今年の春、就職したばかりの弟は入社から一月以上、地方の工場研修を受けていた。ゴールデンウィークにもまとまった休みが取れないからと帰ってこなくて、両親はヤキモキしていたっけ。
「うん、大判焼き買ってきたから、食べる?」
  私の部屋に電気がついていたから、消し忘れたんだと思ったんだって。それで中まで入ってきたのか、なんか情けない姿を見られちゃったなあ……。
「うん、お茶いれて」
  何だよそれ、って呆れ顔をするけど、弟は基本私には素直だからいつでも言うことを聞いてくれる。だからついつい甘えちゃうんだよね。
「ふうん、忙しかったんだね……」
  電機部品のメーカーに就職した弟が配属されたのは営業部署。でも、新人は全員が最初に製造工場での実習をすることになっているんだって。弟も行く前は「そんな話聞いてなかったのに」って、ずいぶんぼやいていたっけ。だけど戻ってきた今は、すごくすっきりした顔をしてる。
「まあね、でも社会人だったらこれくらいは普通だろ? 姉ちゃんだって、いつもそう言ってるじゃん」
  どちらかというと、アルコールよりも甘いものの方が好きな弟。それにしてもすごい量、家族でひとりいくつ食べる計算なんだろう。いくら小振りとは言っても、一度にいくつも食べたら胸焼けを起こしてしまいそう。
「ふふ、ずいぶんと生意気を言うようになったじゃない」
  そっかー、当たり前だけどいつの間にかこんなに成長してたんだね。両親が共働きだったこともあって、小さい頃にはいつも弟とふたりで留守番をしていた。塾やお稽古ごとの行き帰りもひとりじゃ心配だからって付き添ったりして。その頃はすごい泣き虫だったのに、ずいぶんと頼もしくなったな。
「当然だろ、これでも社会の荒波に揉まれてきたんだから」
  なんか、生意気言ってますけど。
  いきなり大人びた表情をするようになった弟が妙に眩しく思える。それはきっと、彼と自分の置かれている今の立場が全然違うからなんだろうな。
  そんなことを考えつつ熱いお茶をすすってると、弟は急に私の顔を覗き込んでくる。
「もしかして、かなり疲れてる? そういや、今って例の何とかって奴の時期だっけ」
「え、……あ、そうだよ」
  一瞬の間合いのあと、私は答えた。そうそう、弟には仕事のこととか結構話してたんだよな。何しろ、いつまでも就職活動に本腰を入れなくて浮ついてたから。そんなんじゃ社会人は勤まらないよとか、強気な発言もしていたような気がする。
「ふうん、やっぱそうか。そっちも大変なんだな、でもまあ頑張れよ。姉ちゃんは、結構図太いし、大丈夫だろ?」
  ……え、それって……どういうこと?
  一瞬、ちょっと勘ぐった感じになってしまい、そのあとハッと我に返る。
  この子に限って、そんな鋭いこと気づくはずない。だからこれも、ただ口から出任せに言っているだけだと思う。あまり深く考えたら駄目だ。
「まあね、任せておいて。これでもあんたよりはずっとベテランなんだから、心配なんかしてくれなくても平気だよ」
  よくもまあこんなこと言えるもんだって、自分で自分に突っ込みたくなる。だけど、本当のことを打ち明けるなんて無理に決まってるじゃない。これからの希望に燃えている弟に、余計なことを吹き込みたくない。……というか、今私がこんな状況にいるのは、全部自分が蒔いた種が原因なんだしね。
「じゃあ、ご馳走様。あんた、夕食は? お父さんたちは夜遅くなるって言ってたけど、何か作ろうか?」 とりあえず、お姉さんらしいことを言ってみたりして。そしたら、弟は小さく首を振る。
「いらないよ、今夜は久しぶりに仲間で集まることになってるから」
  なあんだ、じゃあ、私はカップ麺か何かで済ませちゃおう。うん、それで十分。そんなにおなかも空かないと思うし。

 そして、週明け。ようやく雨も上がった。
  まだしっとりと濡れている道を進んでいくと、次第に気持ちが沈んでくる。駄目だよ、こんなんじゃって無理に背筋を伸ばすと、ショーウインドゥに死人のような私の顔が映った。
  ―― 駄目駄目、あと一週間はちゃんと気合いを入れていかなくちゃ。
  昼食にわざわざ外に出るのも面倒だからと、出勤途中にコンビニに寄る。おにぎりとサンドイッチ、どちらにしようか悩んだ末に、ふたつともカゴに入れた。でも多分、そのまま家まで持ち帰ることになるかも。そしたら犬の餌になっちゃうな。
  気が重い、どうしたって元気になれない。そう思っても、足は勝手に仕事場に向かう。自分でもそれがとても不思議。だれも私がそうすることを望んでいないのに、それどころか煙のように消えてくれた方が清々するって思ってるのに、それでも頑張れちゃう自分がすごい。
  まずは配布書類の点検から。去年のデータを一部書き換えればそれでオッケーなんだけど、修正箇所が多いから、一から書き直した方が楽なくらい。そういう細々した作業をしていると、何時間でもすぐに過ぎてしまう。ひとりぼっちで狭い部屋に押し込められていても、担当部署のデスクで過ごしているのと大して変わらない仕事ができている。
  ―― みんな、どうしているかな……。
  自分が途中までまとめた資料、あれがどんな風に仕上がったのか気になってしまう。いろいろ工夫して、わかりやすく結果が出るようにしたつもり。それがそのままちゃんと活かされているかな。
  ……ううん、そんなこと考えたら駄目。
  今日は携帯も内線電話も鳴らない。何百何千の人が働いているはずのビルの中、私はひとりぼっちだ。だけど駄目、負けちゃ駄目。立ち止まったらそこで終わりになる。
  ここまで自分を追い込んだのは私自身。だから、最後まできちんと頑張らなくては。

 

つづく (110303)

 

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