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「いらっしゃいませー」
  お店のどこからか、私を招き入れる声がする。目の前には私の背丈と同じくらいの観葉植物がたくさん並んでいて、ここからでは店内が良く確認できない。
  閉じたドアの上で、未だ揺れ続けているカウベル。その中途半端な音色が、置き去りにされた私の心を表現しているみたいだった。
  なっ、なんで、私ひとりがこんなところに閉じこめられなくちゃならないの……!
「……あ……」
  ドアに埋め込まれたガラスの窓から外を覗くと、久美や須貝さんがにこにこ笑いながら手を振ってる。
  え、えっ? それって、どういうこと!? そのままドアに張り付いていたら、彼女たちは私の方を指さす。
  それって、なに? って自分を指さして見せたら、違うよって言うみたいに首を振って、またこちらを指さす。
「……?」
  いったい、何なのっ! そんなジェスチャーじゃ、全然わからないから……!
  もうこうなったら、ドアを開けて直接訊ねに行っちゃうんだから! そう思って、ドアノブに手を掛けたところで、ふと背後に人の気配を感じた。そして、振り向くとそこには――
「……あ、ええと」
  何で、いきなり出てくるの? こういうフェイント、やめてほしいんだけど。
「すみません、こんなところまで呼び立ててしまって。……大変でしたね、遥夏さん」
  私を見つめる柔らかい眼差し。どんな表情で受け止めればいいのかがわからなくて、曖昧なまま頷いてた。

 案内されたのは、一番奥の席。
  といっても、この手の喫茶店はとても手狭。カウンター席の他にはテーブルが三つ置かれているのみだ。私たちは向かい合わせの席に座る。そういう何気ない動作の間にも、常に彼の視線を感じるから、なんだか落ち着かなかった。
  すぐにウェーターさんがオーダーを取りに来る。彼がホットを注文したから、私も同じにした。
  そしてまた、訪れる沈黙。
  ええと、なにから話せばいいのかな。突然のこと過ぎて、考えがまとまらない。だけど、いつまでもテーブルとにらめっこをしていても始まらないよね。ここはしっかり年上らしくしなくちゃ。
「その、……優勝おめでとう。すごくいい発表だったよ」
  こういう言葉は、笑顔で言わなくちゃ。そう思って、自分なりには頑張ったつもり。でも、頬のあたりがぴくぴくして、何とも落ち着かない。やっぱりどこか不自然になってるかな。
「ありがとうございます」
  対する彼の方は、ぱっと華やかな表情になる。この台詞、口にするのは何回目だろう。きっと今までの数時間の間に、数え切れないほどの讃辞の言葉をもらい、それに答えてきたのだと思う。
「ごめんね、いろいろトラブルになっちゃって。万全の状態だったら、もっと素晴らしい発表になったのにね。それなのに、すごく頑張ったと思う」
  こういう言葉もまた、たくさんたくさん聞いたはず。もうすっかり慣れっこになってしまったと思うのに、今関くんはすごく嬉しそうに微笑んでくれる。
  ―― この笑顔に大勢の人が魅了されるのだろうな。
  私もそのひとりにカウントされていることを、もう認めてしまった方がいいと思う。いつまでも意地を張っていたところで始まらない。拒もうとしても、惹かれてしまう気持ちにはどうしても抗えないんだ。
「良かった、その言葉が聞けてホッとしました。実は今のいままでずっと、緊張していたんですよ」
  ……そんなはずないのに。もう、今関くんの実力は、関係者のすべてが認めていると思うよ。私のジャッジなんて、気にすることないのに。
「でも、ごめんね。最後まできちんと聞けなくて」
  私は今日の社内企画の責任者だったんだから、あのときに席を立つべきではなかったと思う。いくら会場から出て行った人影があったとしても、それが誰のものであるのか薄々感づいていたとしても、自分自身の目で確かめる必要なんてなかったのに。
  たぶん、私は逃げ出したかったんだと思う。今関くんの世界に完全に取り込まれてしまう前に。広くて深いその場所に包まれてしまったら、もう二度と抜け出せなくなってしまう。そうなってしまったあと、自分自身が苦しむのはどうしても嫌だと思った。
  やだな、もう。私って、逃げてるばっかりじゃない。もう少し骨のある人間だと思っていたのに、すごく情けないよ。でも、今回の場合はこれ以上、どうすることもできないよな。
「いえ、いいんです。今となったらそんなことはどうでも。とにかく事態が良い方向に動き始めたのは本当に良かったと思います。もちろん、大変なのはこれからですけど」
  自分自身の喜びに浸りたいはずなのに、そうしてしまうのが当然なのに、この人はそうではない。常にもっと広く、もっと遠い場所を見据えている。ひとつの事柄をクリアすれば、またさらに前へ。そういう風に常に生きてきたんだろう。
「宮田さんも……大きな覚悟を決めてくれたと思います」
  私がその名を口にするよりも前に、彼の口から直接聞かされた。それで、胸の奥にわだかまっていたものが、すっと溶けてなくなる。もしかしたら、ようやく私は自由に戻れるのかも知れない。
「そうだね、だから今度は今関くんが彼女のことを支えてあげなくちゃ。宮田さんがあそこまで思い切れたのは、今関くんの後押しがあったからこそでしょう。だとしたら、きちんと最後までフォローしなくちゃ」
  別にそんなこと、私が言い出す必要もないと思う。今関くんの中でも、もうちゃんと結論が出てるはずだもの。だけど、こっちが切り出さないと、彼も思いきれないんじゃないかなって。
「え、……それって、どういうことですか?」
  なのに、どうしてそんなに戸惑った顔をするの?
  それまで穏やかな笑顔を崩すことのなかった人が、すっと真顔に戻る。そのとき、自分たちを取り巻く空気だけが、急に冷やされた気がした。
「どういうって、……そういうことよ」
  もしかして、もっと直接的に言えってことかな? でも、こういうのは空気で察して欲しいよ。今関くんも一応は日本人でしょ? そういう社会性は身につけておくべきだと思う。
「あのさ、今関くん。人の心なんて、その瞬間その瞬間でどんどん変わっていって当然なんだよ。昨日の言葉に今日は従えなくなってたとしても、それは恥じることでもなんでもないと思う」
  本当にそのとおりだなと実感する。私、あんなに武内さんに憧れていたのに。彼のためにだったら、どんな苦労でもいとわないとか考えてたのに。今となっては、ほんの数週間前のそんな自分が青臭くて笑えてきて仕方ない。
  世の中に「完璧な人間」なんてそういるわけじゃないのに、どうしてあんなに絶対視していたんだろう。そういう自分だったからこそ、弱みにつけ込まれてしまったんだと思う。
「もういいんだよ、私のことなんて気にしないで。宮田さんはとても素敵な人だし、今関くんとはとてもお似合いだと思う。きっと素敵なカップルになれるよ」
  ふたりが一緒にいる場面に出くわすたびに胸が痛んだ。お互いが惹かれ合っているんだと確信できたからなおさら。だけど、だからといって、いまさらどうすることもできないんだよ?
「それって、本気で言ってるんですか?」
  だけど、すぐにそう切り替えしてきた彼の表情は、とても厳しいものに変わっていた。私を見据える瞳が、怒りの色に燃えているような気すらする。
「え、……だって」
「そんなの嫌ですよ、俺は。いくら遥夏さんの言葉だからって、はいそうですかと答えるわけにはいきません。なにを考えているんですか、あなたはっ……」
  痛み、苦しみ、……そういう類の感情が、みるみるうちに彼の全身を覆っていくように見えた。
「俺は今まで、遥夏さんのために頑張ってきたんです。それなのに、何故今になって、そんなことを言うんです。ひどすぎますよ……!」
  彼の声が震えている。それが嘆きのためなのか怒りのためなのか、私には判断がつかなかった。
  でも、どうして? こんな風に言葉を返されるなんて、私の方こそ心外だ。ふたりの仲が決定的なものだとわかったからこそ、思い切ろうとしたんじゃない。私だって、そんなに強い人間じゃない。もしも差し伸べてくれる手がすぐ側にあれば、どうしても縋ってしまいたくなる。
  そんなの、みっともないじゃない。全然、お姉さんらしくない。もっとしっかり、格好いいところを見せなくちゃ駄目だ。
「でも私、今関くんが宮田さんと一緒にいるところを何度も見たよ? いつだって、とても仲が良さそうだったし……気が合っているんだなって思った。それはなにも私だけが感じてたことじゃない、他の人たちだって、きっと同じように考えていたはず……」
  ああ、嫌だ。どうしてこんなことまで言わなくちゃならないの。これじゃ、まるでストーカーだ。ふたりの行動をいちいちチェックしていたみたいに聞こえちゃう。
「……たったそれだけのことで、決めつけるつもりですか?」
  何か答えなくちゃならなかった。だけど、彼の瞳に見据えられると、心の中までが透けてしまいそうな気がする。こんな状態でなにを言ったって嘘にしか聞こえない。彼の目には真実がすべて見えてる。
「俺の気持ちは、いつだってきちんと伝えたはずです。その上でもしも不安があれば、直接問いただしてくれればいいじゃないですか。推測でものを言われては、迷惑です。今回のことでは宮田さんにもとても感謝していますが、そのことと遥夏さんのことはまったく別次元です。俺の中では彼女と遥夏さんはまったく別の存在なのですから」
  あまりの強い言葉に、返す言葉が見つからなかった。
「俺じゃ、駄目なんですか。ここまでやっても、まだ認めてもらえないんですか」
「べ、別に……そういうわけじゃ……」
「俺の聞きたいのは、遥夏さんの気持ちだけです。他の誰がどう思おうと、そんなの一切関係ありませんから……!」
  これ以上、どうすればいいの。考えなんて、まだ少しもまとまってないよ。
  私は黙ったまま、今関くんを見た。きっとその目は少し怯えていたかも知れない。やっぱり、怖かったから。この人は純粋すぎる。真っ直ぐな気持ちをぶつけられると、戸惑うばかりだ。
「俺が好きなのは、遥夏さんだけです。欲しいのも遥夏さんだけです。遥夏さんはこの世にひとりしかいません、だから他の誰かで代用することなんてできないんです」
  そこまで一気に言い切ると、彼はようやく少しだけ表情を和らげた。
「返事は明日、もらいます。もしも俺の気持ちに応えてくれるなら、あの駅前の噴水広場まで来てください。俺、遥夏さんが来るまで、ずっと待ってますから。何日だって、何年だって、待ち続けますから」

 

つづく (110425)

 

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