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 思いがけない一言を投下したあと、振り向いた武内さんはいつも通りの優しい笑顔だった。
「あ、もちろん勘違いはしないで欲しいな。僕は遥夏ちゃんのことが大好きだよ。でも君の時間のすべてを独り占めしたいとは思わない、僕たちはひとりひとり人格をもった人間なんだからね。だから何も気にすることなんてないよ」
  あんまりにも驚きすぎてすぐには返事もできず、私は呆然としたまま久美の方を振り向いた。もちろん彼女も私とほとんど同じ表情をしている。そうか、一応「マズイお願いをしている」っていう自覚はあったんだね。
「え、ええと……」
  言葉が詰まって出てこなくなってる私に、武内さんは腕時計を指さして「時間がないよ」のジェスチャーをする。そしてそのままパーティションの向こうに消えてしまったから、私も慌てて後を追う。
「じゃ、久美。お先に」
  このあと、いきなり雷が落ちたりしないよね? 武内さんのことだからそんな心配は無用だとわかっていても、やっぱり不安はぬぐえなかった。

「ほら、本当に会社とは目と鼻の先だよね?」
  駅とは反対方向に進んで狭い路地を抜けたら、もう到着。へー、本当だ。知らなかった、こんなお店があったなんて。もしも美味しかったら、ランチの候補に入れちゃおうかな。
  そしたら武内さん、まるで私の心の中を見透かしたように言う。
「でも残念ながら、昼間は営業していないんだよ。だから僕もなかなか気づかなかった」
  さっきの一件があったでしょう。だからこちらからは話しかけることもできなくて、ここまでの道のりも彼の話に相づちをうつだけに留まっていた。まあ、もともろ武内さんとのツーショットは緊張しすぎてそんな感じだから、きっと彼の方はあまり気にしていないかもね。
「素敵なお店ですね」
  オレンジ色の瓦を並べた屋根、小さな飾り窓には季節の花がたくさん飾られている。白塗りの壁にはところどころまだらに煉瓦が埋め込まれていて、その全体のバランスがとってもオシャレだ。ドアの上にある灯りもアンティークっぽい。
「良かった、気に入ってもらえたみたいだね」
  そんなそんな、武内さんが勧めてくれる場所ならどこだって花丸印をつけられること間違いなし。彼が外すなんて、まず考えられないもの。
「―― あれ?」
  ドアに手を掛けたところで、彼が不意に振り向く。そうか、ガラス窓に映った人影に反応したんだ。私もつられて振り向くと、そこには同じ会社の広報部の人たちがいた。
「やあ、武内。いいな〜、今夜は彼女連れかあ」
「この子が遥夏ちゃん? 可愛いな、俺たちにも紹介しろよ」
  あっという間に狭い舗道は背の高い男の人たちで塞がれてしまう。武内さんがいつも仲良くしているこの人たち、別部署ではあるけど新人研修以来の仲間なんだって。
「今年で三年目だって? そうかなあ、まるで新人みたいに初々しいよ」
  そう言って、その中のひとりの人が私の髪に触れる。本当はすごく嫌だったんだけど、どうにか笑顔のまますり抜けることができた。
「おい、あまり馴れ馴れしくするなよ」
  ちょっと怖い声で武内さんがそう言ってくれて、心底ホッとする。
  私、実はこの人たちがちょっと苦手。社内でも何故かよく見かける人たちで以前から知ってはいたんだけど、武内さんの知り合いってわかったときはちょっとショックだった。
  そうだなあ、上手く表現できないけど、なんとなく柄が悪そうっていうか……。
「じゃ、またな。お前らもあんまり飲み過ぎるなよ」
  早々に話を切り上げてくれて良かった。……でも、こんな気持ちでいることを武内さんには知られたくないな。自分の友達のことを悪く言われるって、絶対いい気がしないはずだもの。

 ディナーは完璧すぎるくらいに素晴らしかった。
  店内に入ると、最初に目に飛び込んでくるのは真っ白なグランドピアノ。そう、食事をしながら生演奏を楽しめるレストランだったんだ。そして予約していたテーブルは、そのステージの真ん前になる特等席。
「リクエストもできるんだって、何かある?」
  ……とか言われても、クラシックとかよくわからないし。それにお店に来ている他のお客さんはみんな綺麗なドレスを着てとっても素敵なの。私ひとりが仕事帰りの普段着で、すごく申し訳ない感じ。
「やだなあ、そんなにかしこまらなくていいんだよ。もっとくつろいで欲しいな」
  ワイングラスを傾けながら、そんなもったいないお言葉。でも、自然に振る舞うなんて絶対に無理。だって、武内さんは素敵すぎるんだもの。
「す、すみません。あのっ、私……」
  フォークとナイフで進んでいく食事って、それだけで緊張してしまう。向かいの席に座る武内さんはテーブルマナーも完璧なんだもの、きっとすごくちぐはぐな取り合わせのカップルに見られているわ。
「ふふ、もしかしてまださっきのことを気にしてる?」
  そしたら、急に身を乗り出してそんな風に言うの。思わず、こちらも「え?」って聞き直しちゃった。
「給湯室でのこと」
  メインのお皿を食べ終えた武内さんは、ナプキンで口の端をちょっとだけ拭った。そして、にっこりと笑う。
「あ、……いえっ、その……」
  対する私の方はといえば、切りかけのお肉のこともすっかり忘れて慌ててしまう。
「もっと驚くことを教えてあげてもいいんだよ」
  武内さんは笑顔を崩さないままで続ける。言葉とあまりに不似合いな表情が不思議すぎて、思わず魅入ってしまう私。
「昨日の晩、君が誰とどこで何をしていたか。僕は全部知っているんだ」
  ―― え、嘘。
  たぶん、今の私は血の気がまったくなくなった顔をしているはず。その表情を真正面から捉えながら、武内さんは言う。
「営業の須貝って言ったら、君たちの同期だろう? だったら仲間同士、食事やカラオケに行くくらい何てことないじゃない。それとも……君の方は僕が同じことをしたらいちいち目くじらを立てるのかな?」
  真っ直ぐな眼差しに吸い込まれそう。
「さて、どうだろう」
  まるで誘導尋問されているみたいに、私は慌てて首を横に振っていた。
「そうだよね、そんな考え方っておかしいよ」
  そしてまた、ワインを一口。雫の落ちた唇を彼は自分の舌で舐めた。
「で、でも……」
  どうしよう、自分からさっさとバラしちゃえば良かったのに。わざわざ秘密にしようとするから、厄介なことになってしまったんだ。こういうのがさらっと自然にできない自分が本当に情けない。武内さんはこんなに寛大に接してくれているのに。
「それに―― 今関、翔平。あいつと遥夏ちゃんが仲良くすることも、僕は大歓迎だよ?」
  さらに信じられないことを言われて、私は今度こそ途方に暮れた。
  何故、どうしてそんな風に言うの? もしかして、もうお付き合いはやめようってことなのかな。私があまりに不誠実すぎるから? でも……そんなの、ひどすぎる。
「ああ、誤解はしないで欲しいな」
  すっかり青ざめてしまった私を勇気づけるように、彼は親愛に満ちた笑顔で言った。
「もちろん、遥夏ちゃんは僕の彼女なんだから、あいつにハートを持って行かれちゃ困る。でも、気のある素振りをすることくらいならできるよね。そういう風にして、僕にとって有益な情報を今関から引き出して欲しいんだ」
  私の右手はその瞬間にもフォークを握りしめたままだった。動かすことも忘れてテーブルに置き去りになっていたそこに、武内さんの手が重なる。
「できるよね?」
  不思議な言葉に、信じられない行動。パニック状態に陥る私にはあまりにも不似合いな、穏やかなピアノの調べ。
「あいつは今回の社内企画選考会に一番乗りでエントリーしてきたんだ。異動してきたばかりの新人が名乗りを上げるなんて今までなかったし、読めない相手だと思ってね。たぶん、遥夏ちゃんたちに近づいてきたのにも、相当な腹づもりがあると思う」
  そこで彼は一度顔をふっと崩して、まったく減らない私のお皿を指さす。
「それ、僕が引き受けようか?」
  別に食べて食べられないこともなかったけど、言われるままにお皿を彼のものと交換する。
「今関くんが、彼が企画にエントリー……」
  その事実を知って、急に目の前がぱーっと拓けた気がした。
「うん、そう。まあ、相手することもないと思うけど、念には念を入れたいんだ」
  大きめに切ったお肉を次々に口に放り込みながら、武内さんは話し続ける。
「僕のために力を貸してくれるよね、遥夏ちゃんだけが頼りなんだ」
  どうしてこんな厄介な「お願い」をされなくちゃならないんだろう、しかも次から次へと。そう思いつつも、武内さんの笑顔を見ていると頷くほかなくなってしまう。
「それでこそ、僕の彼女だ。ありがとう、遥夏ちゃん」

 食事を終えて外に出ると、通りはすっかり人通りがなくなっていた。
  狭い路地にポツポツ灯る飲み屋さんの看板以外、目に映るものはあまりない。
「さあ、どうしよう。……どこかで一休みしていく?」
  そう言いながら、さりげなく私の肩を抱く武内さん。突然の急接近に、ひ弱な心臓はあっという間に大暴走になる。
「いっ、……いえ、明日も会社ですし。もう帰らないと……」
  武内さんは喉の奥でくすっと笑うと、すぐに腕を解いてくれた。
「そう? 残念だなあ……」
  せっかくのお誘いを断ったら、ノリの悪い女だと思われるかな? でも、まだ心の準備ができていないから無理。下着だって、もっと可愛いのをチョイスしたいし。
  大丈夫、武内さんならそんな私の乙女心もちゃんとわかってくれるはず。

 

つづく (100914)

 

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