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『僕ら企画開発部の皆は運命共同体なんだ』
  資料作成を進めながらも、頭の中では武内さんの声が何度も何度も再生されている。
  駄目駄目、こんなことじゃ。とにかくは目の前の仕事に集中するべきだわ。……そう思いつつ、キーを叩き続けていた手を止めて眉間の辺りを指先でぐーっと押していると、隣で立ち上がる音がした。
「遥夏、悪いけど先に引き上げるわ。それ、まだ頑張るの? キリのいいところでストップして明日に回した方がいいよ〜」
  その声にハッとして、現在の時刻を確認する。うわっ、もう午後の七時を過ぎてる!
「うん、ありがとう。もうちょっとで区切りがつくから、そうさせてもらうつもり」
  久美は日替わりでお稽古ごとに通っている。毎週火曜日はフラワー・アレンジメント。実際の作品を見せてもらったことは未だにないけれど、学生時代から通っているというからかなりの腕前なんだろうな。
  その他にも、バイオリンとテニス、意外なところでは色鉛筆画なんてのもあったっけ。まあ、彼女はいつでも遊びの予定の方を優先させるから、ちょくちょくお休みしているみたいだけどね。
  それにしても、気がついたらほとんどのデスクが空席になっていてびっくり。
  武内さんも一時間ほど前に課長と一緒に出て行った。今日はお得意様が紹介してくれた企業の方と顔合わせだとか。初対面の相手はさすがに緊張するのかな、でも武内さんなら絶対に相手のハートをがっちり掴めそうだな。課長も彼のことをとても信頼しているから、大事な場面のお伴にはいつもご指名を受けてる。
  他の人たちも外回りでそのまま直帰とかが多い。今回の資料はちょっと面倒な差し替え作業が続いたから、思ってたよりも時間が掛かってしまったみたいだ。なるべく残業は控えるようにと言われているし、私もそろそろ引き上げなくちゃ。
  パソコンの画面に視線を戻した私は、点滅していたセルにカーソルを合わせた。そしていくつかの数値を入力し終えると、そのまま保存して電源を落とす。
「それでは、お先に失礼します」
  ただひとり残っていた武内さんと同期の先輩に声を掛けてから部屋を出る。
  ロッカールームに向かうまでも誰ともすれ違わなかった。本当に今夜は会社に残っている人が少ないみたい。そう思うと、明るく照らし出された通路も何となく寒々しく感じてしまったりして、ついつい早足になっていった。
  あとになって考えてみれば、それも「予感」だったのかも知れない。

「あれ〜、遥夏ちゃんだ」
「今帰りなの? こんなところで会うなんて偶然だなあ〜」
  それは会社のビルを出て、少し歩いたときのことだった。
  急に物陰から出てきたいくつかの大きな影に私は呼び止められる。その声にあまり覚えがないままに、それでも振り向いていた。
「……あ」
  この人たちって、武内さんのお友達だ。先日、ディナーに誘われたお店の前で出会った人たち。
「もしかして、今日はひとり?」
「寂しいでしょう〜、俺たちと一緒に食事にでも行かない?」
  え、何なのっ、この人たち。急にそんなことを言われても困っちゃうんだけど……!
「あっ、あの。申し訳ございませんが、私ちょっと急ぎますので―― 」
  仮にも武内さんのお友達なんだから、あまり邪険に扱っては駄目だと思う。でも、いきなり五人の男の人に取り囲まれちゃったら、やっぱり怖いよ。
「え〜、そんなつれないこと言わないで。ほら、あそこに車があるんだ」
「野郎ばっかじゃつまらないしね〜、付き合ってくれたらお礼に和之の耳寄り情報を教えてあげるよ」
「そうと決まったら、行こう行こう!」
  矢継ぎ早に声を掛けられるから、いったいどの口がどの台詞を吐き出しているかもわからない。それどころか、視界は三百六十度、ぐるりと遮られてしまっているし。
「で、でもっ。本当に急いでいるんです、ですから私は……」
  どうしてこの人たち、こっちの話を聞いてくれないの? その上、肩とか背中とかべたべた触ってくるのがすごく嫌。
「遠慮することないよ、いい店を知ってるんだ。遥夏ちゃんもきっと気に入るよ?」
「俺たちみんな和之の知り合いじゃん、仲良くしようよ〜」
  本音を言えば「冗談じゃない」って気分だった。でも、怒り任せにそんな風には言えないでしょう?
「まっ、待ってください。ええと、そのっ―― 」
  両脇をがっちり固められて、さらに背中から押されたら、どうすることもできない。
  そりゃ、相手はみんな武内さんの知り合い。だから絶対に悪い人であるはずはない。……でも。
「すみません、彼女を離してくれませんか?」
  ―― と、そのとき。
  どこからか、また違う声が聞こえてきた。
「その人は、俺と待ち合わせをしていたんです。こちらの方が先約ですから」
  まさか、と一瞬は自分の耳を疑った。でも、やっぱりそこに立っていたのは――
「何だァ? コイツ、営業部の新入りじゃん」
「誰に向かって口きいてるか、わかってんのかよっ?」
  私を取り囲んでいた強引な男の人たちは、それでも急に現れた人影には少なからず驚いた様子。それが証拠に声が少し震えていた。
「……穏やかではありませんね。彼女も困っているではありませんか」
  それは明らかに挑発している口調だった。やばいよ、今関くん。彼らは武内さんと同期なんだから、あなたよりは少なくとも五歳六歳と年上のはず。しかも体格的にはあまり変わらないとしても、とにかく人数が違いすぎる。
「お前っ、偉そうなんだよ! 前々から、目障りな奴だとは思ってたんだ」
「一度痛い目をみないとわからないようだな。そっちがその気なら、俺たちも本気を出すぜ……?」
  えっ、ええっ……! 何だか急に不穏な空気が漂ってきた。
  ちょっと、やばくない? 本社ビルの前で、社員同士がいがみ合っていたりして、しかも今にも――
  そのとき。
  急に目の前がぱあっと明るくなった。ビルの前の路地を、すり抜けるように一台の車が滑り込んでくる。
「……あっ、ヤバイ! あれ、社長の専用車だぜ!?」
  その声を合図にしたように、私の周りにあったはずの人影が散り散りになっていく。そしてそのまま風のように白い車が通りすぎたあと、彼らの姿はきれいさっぱりどこかに消えていた。

 ―― な、何だったの、いったい。
  たった今、目の前で繰り広げられた出来事が信じられなくて、私はしばらく呆然としていた。そのうちに少し肌寒い風が、七分袖から出た素肌をひやりと撫でていく。
「遥夏さん」
  その声は、私のすぐ後ろから聞こえた。
「そんなところに座り込んでいるのはよくありませんよ。ほら、立ち上がってください」
  その言葉と同時に、私の身体がふわっと持ち上がる。それほど強い力で掴まれたわけでもないのに、気がついたら靴底がきちんとアスファルトの上に乗っていた。
  実は私、そのときまで自分が道上におしりをついていたことにも気がついてなかったんだ。今日はキャミソールワンピに薄手の上着という軽装だったから、ちょっとの間にも足下から冷えが上がってきている。
「い、今関くん……」
  どうしてこの人がいきなり現れるのか、それがまったくわからなかった。とりあえず、昨日今日と二日間は会社で顔を合わせることもなくて安心していたのに。こんなときに出てくるなんて、フェイントもいいところだわ。
「ちょうど良いところに居合わせました。あいつら、ガラが悪そうだしあのまま付いていったらヤバかったんじゃないですか?」
  その上、「はい」ってショルダーバッグまで差し出されたりして。自分の荷物のことをすっかり忘れてしまうなんて、私もどうかしてる。
「べっ、べつに! ……全然っ、そんなんじゃないから」
  本当は私自身も今関くんと同じ意見だったりした。もともと、あまり好きじゃないタイプの人たちだったし。だいたい、友達の彼女だからって馴れ馴れしすぎない? ここに武内さんも一緒にいるなら話は別だけど、彼に承諾も得ずにこういうのって……ちょっと違う気がする。
  だけどそのことを自分自身で認めてしまうのは、どうしても許せなかった。
「あの人たちは、武内さんのお友達なんだよ? 私がひとりで歩いているのを心配して声を掛けてくれたのに、そんな風に悪く言うことないじゃない」
  ううん、違う。そんなの、絶対に嘘。わかってる、わかってるんだけど……この人の前で素直になんてなれるわけないよ。
「そうなんですか?」
「ええ」
  彼らがどうしてあんな行動に出たのかはわからない。でも、できることなら善意からのことであって欲しいと思う。ああ、このことって武内さんに伝えられたりするんだろうか。そうなったら、ちょっと困るかも。
  そうよ、悪いのは全部今関くん。この人のせいで、私は本当に迷惑している。
「わかったんなら、もうついてこないで」
  私は膝小僧のあたりを手で軽く叩くと、さっさと歩き出した。もしも足がすくんで前に出なかったらどうしようかと心配したけど、どうやら大丈夫だったみたい。
「……?」
  そして、五十メートルくらい進んだのかな。ちょうど大通りとぶつかる地点まで来て、私は後ろからもうひとつの足音がぴったりとくっついてきていることに気づいた。
「ちょっとっ、何であとをつけてくるの……!」
  この人に八つ当たりなんてしたって仕方ないことわかってる。でも怒りのぶつけどころがないんだもの、仕方ないじゃない。
  でも、対する彼の方はどこまでも涼しい笑顔。
「え? だって、俺も帰る途中ですから。だったら駅までは同じルートになってしまうの、仕方ないでしょう」
  私のトゲトゲした感情なんてほんのちょっとも気づいていないみたいに、その眼差しはいつもどおり親愛に満ち溢れていた。

 

つづく (101110)

 

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