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 発表はラスト一組、今関くんたちのチームを残すのみとなった。
  ここまでは大きなトラブルもなく、すべてが予定どおり。もう一度、タイムスケジュールを確認しながら、最後まで気を抜かないぞ、と自分に渇を入れていた。
  そんなとき、私に近づいてきた人影が。
「―― あの、山内さん」
  反射的に声のする方を振り返ったとき、私の表情は一瞬で凍り付いた。
  ―― 沢野、主任。
  そう、彼女はかつての教育係であり、かつ憧れの上司であったその人。そして、私に疑惑が掛かったあの日から言葉を交わしたことはおろか、一度も顔を合わせたことがなかった。
  しかし、彼女の方は戸惑う私のことなどまったく気にする素振りもない。というか、かなりせっぱ詰まった状態だった。
「次に配る資料、どこへ行ったか知らない? 先ほどまでは確かに出入り口のところに台車に乗せられていたんだけど」
「え?」
「もしかして、あなたがどこかへ片付けたのかと思ったんだけど……違うのっ!?」
  私は慌てて腕時計を見た。
  次の発表の開始時間まで、あと五分。そろそろ皆が自分の席に戻り始めている。沢野主任は発表会場内の責任者を任されていた。配布物の管理も彼女の担当だ。
「いえ、私は何も。確かにこちらにあったんですね?」
「ええ。念のために近くにいた人にも確認してみたんだけど、皆『知らない』って。でも確かに台車ごとここに置いたはずなの」
  詳しく聞いてみると、沢野主任がこの場を離れたのはわずか五分ほど。ちょうど休憩時間だったから、ここには絶えず人目があったはずだ。
「あれ、……何かあったのかな?」
  そこに偶然通りかかったのが、今発表を終えたばかりの武内さん。大仕事を立派にやり遂げて、さすがの彼もホッとした表情だ。
「―― ああっ、武内さん。実は大変なんです……!」
  沢野さんはすぐさま、ひととおりの説明をする。それを黙って頷きながら聞いていた彼は、話が一区切りついたところで口を開いた。
「ふうん、それは困りましたね。でも今からではどうすることもできないだろうな。こうなったら、沢野さんが営業部署の人たちに状況を話してわかってもらうしかないですね」
  武内さんが意識していたのかそうでないのかはわからない。でも、その言葉はあまりにも冷たく突き放すように聞こえた。
「え、でも……」
「だってこれは、沢野さんのミスでしょう?」
  何、それ。……全然信じられない。
  どうして、そんなこと言うの? そりゃ、台車から目を離した沢野さんにも落ち度はあると思う。でも、今回の会場係は、営業部署みんなで行っていること。誰かひとりに責任を押しつけるんじゃなくて、みんなで助け合わなくちゃ。
「ほら、そろそろ彼らが控え室から出て来ますよ」
  強い言葉で促されて、沢野主任は今にも泣き出しそう。
  でも、変だよ。午前中だって、配布資料はすべて廊下に置かれていた。ううん、去年もその前も、ずっとそう。なのにどうして今回だけ。
  発表開始、三分前。武内さんの言葉を受けるように、控え室のドアが開いた。そして中から出てきたのは、今関くんや須貝さん、その他営業部署の若手社員たち。……それから、秘書課の宮田さん。
「……どうしたの?」
  まさか、沢野さんだけにすべてを押しつけるわけにいかない。そう考えた私は、彼らの前にいち早く進み出た。すぐに声を掛けてくれたのは、やはり今関くん。
「すみません! その、こちらの手違いで、配布するはずだった資料が―― 」
「え?」
  時間がないのだから、余計な説明などしていられない。とにかくは、事実だけをかいつまんで伝えるしかないと判断した。
「資料が? どうして、だって先ほどまでは確かにここに」
  今関くんも信じられない表情。彼は先ほど会場をあとにするときに、自身の目で台車を確認していたそうだ。
「でも、どこを探しても見つからないんです」
  沢野さんは何も言わず、私の背後に隠れて震えている。普段から何ごとも完璧にこなす人だから、こんなトラブルには慣れていないのだろう。私だって、信じられない。彼女にはあり得ないミスだ。
  そのとき、意外な助言者が現れた。
「―― もしかして、手違いでどこかに運ばれてしまったってこともあるんじゃないかな」
  緊迫したムードを一気に和らげる笑顔でそう告げたのは、今関くんの同僚である須貝さん。彼は、今にも何か叫びそうな仲間たちを制して続けた。
「俺、その辺を探してくる。お前らは先に行ってて」
「あ、……私も! 私も手伝います!」
  すると、今度はまったく別の方から声が飛んできた。
「もう、受付の仕事はすべて終了しました。ですから、私にやらせてください!」
  ―― 久美。
  彼女はいつになく真剣な瞳、保身とかそういうのをすべて取っ払っているみたいだった。
「―― わかった、早く行こう」
  ふたりが廊下の向こうに消えていく頃、会場の中から声がする。
「そろそろお願いします」
  進行役の社員に促され、一同は会場へと入っていく。しかし、これですべてが終わったわけではなかった。彼らより少し遅れて会場入りをした私と沢野主任は、新たなトラブルに遭遇することになる。
「えっ、……マイクが入らない!?」
  昨日の練習のときと同様にマイクを手に話し出そうとした今関くん。しかし、何故か音声が入らない。
「……そんな。だって、司会者のマイクはちゃんと電源が入るのに」
  すぐに異変に気づいた司会役の社員が、自分の持っていたマイクを今関くんに渡しに来る。でも、そうした途端に、今度はそのマイクの音声までが消えてしまった。
  もちろん、会場は騒然。突然のトラブルに、みんな立ち上がったり振り返ったりしている。
  どうしてこんなことになるのか、私だって信じられない。電気系統のチェックはしつこいくらい繰り返したし、直前の発表までは順調だったのだ。
  さらにざわつく会場内。どうしよう、どうにかしてこの混乱を抑えなくては。でもそうするためにもマイクが入らなければお手上げだ。
「すみません、―― どうか、ご静粛に願います」
  そのとき、蜂の巣を突いたような会場内に一石を投じたのが、他の誰でもない、今関くん本人だった。彼は会場前方に設置されたひな壇から降りて、視聴席の真ん中まで歩み出る。
「こちらの不手際で、ご迷惑をかけてしまい、誠に申し訳ございません。少々お聞き苦しいかと思いますが、このままで発表を始めさせていただきます」
  それは、澄みやかに凛と響く声だった。決して怒鳴っているわけではないのに、会場の隅々までよく届いている。しかも、いくつものトラブルに見舞われながら、彼には少しも慌てたところがなかった。
「皆様にお配りする資料もまだ届いておりませんが、先ほどまでの皆様の発表を参考に進めさせていただければと思います。まず、一番の争点である山を切り崩した状態で放置されている土地、そこの活用法についてご説明します。私はその場所を、元通りの森に帰そうと考えています」
  ―― え、何それ。そんな当たり前の話で本当にいいの?
  突然、もたらされた「投げやり」な意見に驚いたのは、私ひとりではなかった。会場のあちらこちらからざわざわと声が上がっている。それが元通りに静かになるまでしばし言葉を止めてから、彼は再び口を開いた。
「もちろん、ただ放置するのではありません。企業や行政、また住民の手を借りて、訪れる人々が自然と親しめるような場所を造りあげたいと考えています。果樹園や花畑、ハイキングコースやアスレチック施設など、豊かな緑に囲まれたこの地ならでの総合公園が望ましいと思います。ただ、そのためにはある一定の時間と人手が必要です。そのための人材も、ボランティアというかたちで集めていきます」
  何だか、まるで雲を掴むような話になってきた。
  するとそこに、久美たちが戻ってくる。彼らは息も絶え絶えといった様子で口を開くのも辛そうだったが、それでもとても明るい表情をしていた。
「遥夏、見つかったよ! 通路に設置されているダッシュボードから、地下の集積場に捨てられているのを集配車の人が偶然発見してくれたって。きちんと梱包してあって、中身は綺麗なままで良かった。すぐにみんなで手分けして配るね!」
  会場内には、発表を続けている今関くんの声が響いている。そんな中、さらに私に声を掛けてきた人物が。
「山内さん、マイク音源のトラブル原因がわかったわ。誰かが裏の配線を故意に切断したみたい。もう、程なく繋がるはずよ」
  振り向いた私は、そこにいる沢野さんの姿にぎょっとした。……えっ、どうして! 何か、髪とか服とか汚れまくってる。いつものすっきりきっちりした彼女のイメージからはほど遠い。
  そして、元どおりに電源の入ったマイクで、今関くんはさらに発表を続けた。
  動植物と思う存分触れ合える自然公園、それを造りあげるのは地域の人々の他に、旅行会社などを通じて募集したボランティアの人材。都会に住む人々が自然と親しみ、物作りの楽しみを味わう場を提供する。そしていずれ、美しく生まれ変わったその土地に、彼らも利用者のひとりとして再び訪れることになるのだ。
「また、地域農園も一般に開放し、花のオーナーや山のオーナーも募集します。田植え体験、稲刈り体験など、子供たちだけではなく現代では大人にもなかなか味わえないイベントを各種取りそろえました。詳細は、資料でご確認ください」
  斬新な発想もなければ、奇抜な展開もない。ただ、水が高い場所から低い場所へと流れていくような、静かな発表。でも、彼の伝えようとすることは、会場内のすべての人たちの心に素直に染みこんでいった。

 

つづく (110418)

 

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