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 水曜日の午後には、今すぐにでもプレゼンが始められると思われるほど完璧に準備が終わっていた。
  そこで開催前日の木曜には当日の参加者にひとりずつ時間を割り当てて発表の流れを確認してもらう余裕まで生まれた。そうなってしまうと、私の仕事もすべて終了。あとは金曜日当日に備えるのみになる。
  今、となりの会場では広報部の発表者の人がその手伝いをする社員さんと共に練習をしていた。別室に移る必要はない、できれば発表を見て感想を聞かせて欲しいと言われたんだけど、やっぱり気兼ねしてしまう。もちろん、機材の扱いとか不明な点があればすぐに声を掛けてもらうことにしていた。
「うーん、……もう少し掛かりそうかな」
  当日の参加者の一覧やタイムスケジュールをもう一度チェックしながら、時間を確認。こういう立場になったことでいちいち携帯を開くのもどうかと思って、久しぶりに腕時計を着けてみた。―― ええと、今は六時半か。七時までの予定だから、あともうちょっとだな。

  去年までは前日の夜遅くまで会場設置に掛かっていた。だからとても慌ただしくて、そのまま当日を迎えることになるため、落ち着いて個々の発表を聞くゆとりもなかったように思う。でも今年はちょっと違うかも。会場設置の作業を通じて顔なじみの方も増えたし、彼らがどんな内容の発表をするのかすごく興味がある。
  今まで、この社内企画を「社員の意識向上のためのもの」と認識していたけど、心がけ次第ではもっともっと深いところまで行くことができるのかも知れないと思えてきた。
  事実、今関くんは他の参加者の人たちとも積極的に交流して情報交換をしているし、今まで私がこの企画に感じていたギスギスした雰囲気はまったく見えてこない。まあ……もともとは皆が同じ会社の一員。共に手を取り合って会社を良くしていくのが一番いいんだよね?
  入社後に配属になった部署が毎年優勝を続けていてそのことにすごくこだわっていたから、周囲が見えにくくなっていたというのもあるのかも知れない。事実、今回の作業に発表者側として参加しなかったのは武内さんひとりだ。今関くんはちゃんと連絡を入れたのに、彼はとうとう現れなかった。
  とても不思議。ほんの少しの間に、私の中で武内さんという存在がすごく小さくなってきている。今まで彼のことをすごく大きな人間だと信じていた。彼が白と言えば、他の意見は全部黒。彼の意見に従っていけば何もかもが上手く行く。安全な隠れ蓑の中にいた私はとても視野の狭い二年間を過ごしてきたような気がする。
  でも……決してそのことを後悔する必要はないんだよね。過去はいくら悔やんだところで始まらない、気がついたところから自分自身が変わっていけばいいと思う。
ただ、その具体的な方法はわからない。明日のプレゼンが終わったあと、私がどうなってしまうのかも曖昧なまま。しっかり考えなくてはならないけど、それよりも大仕事を終えることの方が大切。
  ―― いいよね、あとのことはそのときになったら考えよう。

  そんなことをのんびりと考えていたら、トントン、とノックの音。
「―― はい?」
  こんな時間に誰だろう、そう思いつつも返事をした。でも、ドアの向こう側に立っている人影は動かない。
「ええと、……どうぞ?」
  何だろう、明日のことで何か質問がある人なのかな? でもそうなら、遠慮することないのに。
  仕方ないから、こちらからドアのところまで出向く。そして内側に開くそれをそっと引くと、そこには予想だにしなかった人物が立っていた。
「……久美……」
  あまりに驚いて、そのまま表情が固まってしまったと思う。定時を過ぎて、照明が少し暗くなった廊下。そのせいか、久しぶりに見る久美の顔色が冴えない気がする。いつもは元気いっぱいエネルギッシュな雰囲気なのに、遠目に見たら別人に思えてしまうほど覇気がない。
「あっ、……あの、遥夏……」
  声もね、どうにか絞り出している、って感じ。それでも伏し目がちだった目を、意を決したようにこちらに向けた。私たちは身長が同じくらいだから、目線もだいたい一緒になる。だから赤く充実した白目の部分もはっきりわかった。
「ご、ごめん! 今更どんな言い訳をしたところで許してもらえるとは思ってないけどっ、……でも、やっぱりどうしても謝りたくてっ!」
「……え?」
  いきなり頭を直角に下げられて、呆然としてしまう。何? どうしちゃったの?
「あのとき、かばってあげられなくて、本当にごめんっ! 遥夏がみんなを裏切るようなことをするわけないってわかってはいたんだけど、……だけど」
  もう一度こちらを向き直った久美の目から、ぽろぽろと涙がこぼれてくる。そんな彼女の姿を、私はひどく冷静な気持ちで見つめていた。というか、これは多分、驚きすぎて傍観者になってしまっている感じ。
  ―― どうして、今になって?
  その気持ちは私の顔にはっきりと表れていると思う。だけど久美は、こちらの態度にはまったく構わずに言葉を続けた。
「わ、私っ、ずっと遥夏に嫉妬していたんだ。自分ではあまり意識していなかったけど、たぶんそう。どうしてこの子ばっかりがイイ思いをするのって、すごく悔しかった。だから、きっと……いつか不幸になればいいって思ってたのかも知れない。だけど、そんな考えをすること自体が間違ってたんだよ。そのことに、今頃になってようやく気づいた……気づかされた」
  人通りのない廊下に、久美の声が響いていく。いきなり心に飛び込んできた言葉たちを受け止めきれずにに戸惑い、私はなかなか彼女に返す言葉を見つけられずにいた。
  すると―― 角を曲がってもうひとりの人影が姿を見せる。
「……須貝さん」
  これまた、久しぶりの顔だった。そう言えば、しばらく出張に出ているって話だったっけ。
「どう、きちんと話ができた?」
  彼はまっすぐこちらに歩いてきて、やがて久美のとなりに立った。そして、私の方へと向き直る。
「ごめん、遥夏ちゃん。ずいぶん大変な想いをさせちゃったみたいだね」
  ……え? 何それ。
  須貝さんは何も悪いことしてないじゃない。どうして、この人までが謝るの?
  信じられない気持ちで見上げると、須貝さんはとても悲しそうな笑顔になった。
「俺もかなりテキトーな男だからさ、今回のことでは今関にずいぶんと絞られたよ。あいつ年下のくせにやったら偉そうなんだよな……まあ言っていることの筋は通っているから、こっちも文句言えないけどね」
「え、……それって」
  久美も、そして須貝さんも。どうして、私に理解できないことばかりを次々に話すの? 全然ついて行けないよ。
「今関は思いこんだら一直線の人間だからなー、最初は何てウザい奴なんだと思ってたよ。まあ、今でもときどき煙たくなることはあるけどね」
  そこで、須貝さんは一度言葉を切る。そして、言おうか言うまいか、ものすごく悩んでいる表情をし続けたあとに、思い切ったように口を開いた。
「あの情報を、今関に流したのは俺なんだ。だから、かなり責任を感じている。奴が派手に行動した結果、遥夏ちゃんを危険な目に遭わせる結果になってしまったんだし。頭のいい奴だから大丈夫かと思ってたのに、なりふり構わずなんだから本当に参ったよ」
「……え……?」
  彼の言葉も半分くらいしか理解できない。だから思わず聞き返しそうになって、強い視線に制された。
「これ以上のことは、もう話さなくていいよね」
  あの情報って、……たぶん武内さんとその仲間たちの話だと思う。そうか、この辺が発信源だったのか。となると、かなり広く知れ渡っていることだったんだな。
  なのに、同じ部署で一緒に働いていた私たちはそのことに少しも気づいていなかった。何かもう、すべてが後手後手で、情けない限り。
  私と須貝さんの曖昧なやりとりをしばらく窺っていた久美は、やがてぽつりと呟いた。
「今関くんにも悪いことしちゃった。すごく反省してる」
  いったい久美は、今回のことをどこまでを知っているのだろう。だけど少なくとも、私への誤解はすべて解けているみたいだ。それなら、もういいかなとも思う。このまま、久美に信じてもらえないまま二度と会えなくなるのはやっぱり嫌だった。
  すべての人に気に入られるなんて絶対に無理なのに、それでも自分の身近な人に真実をわかってもらえないのは辛い。結局のところ、私は自分が可愛くて仕方ないだけのちっぽけな存在なんだ。
  自分の心からの言葉で、今までのことを必死に謝ってくれる久美。彼女の言葉を素直に受け入れられなかったら、私はいずれもっともっと後悔することになると思う。
  そんな久美を傍らで見つめる須貝さんの眼差しはすごく優しい。もしかしたら、このふたりはいい関係になっていくのかな? と予感させるみたいに。
「あ、そろそろ時間だ。私、これから会場の戸締まりをしなくちゃならないの」
  いつの間にか、時計は七時近くになってる。先ほどまで聞こえていたとなりの部屋のマイクの声も止んでいた。そして打ち合わせをしているらしい複数の話し声がしている。
  私はドアをすり抜けると、これで話はおしまいと言わんばかりにふたりに背を向けていた。何というか……これ以上、ふたりのことを見ているのが辛いって思えてきて。
  それなのに、久美はそんな私の背中に、さらに言葉を投げかけてくる。
「……遥夏、その……これは私が言うことじゃないと思うけど、帰っておいでよ。課長もね、何も遥夏を追い出したいと思ってこんな仕事を押しつけた訳じゃないんだよ。あのままでは遥夏が嫌な思いをいろいろすることになるだろうって心配してのことだったと思う。……うん、そうだと思うよ」
  いったい、どんな表情で応えるのが正解なんだろう。
  その考えもまとまらないまま振り向いた私は、今の自分にできる限りの静かな笑顔を作った。

 

つづく (110325)

 

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