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 どうして、そんな思考になったのかはわからない。いつもとは全然違う自分に、すごく戸惑っていた。でも、一度口から出てしまった言葉を訂正するつもりもない。
「……遥夏さん?」
  その声が私の元に戻ってくるまで、いくらかの間があった。戸惑いがそのまま表れた震える声、恐る恐る、というように振り向いた瞳も揺れている。
  私は、彼の中にあるすべての思惑を取り払うべく、一度強く首を横に振った。そして、ごくっと唾を飲み込む。
「最初から、もっとちゃんと考えるべきだったと思うの。なのに私……武内さんに特別扱いをされたことですっかり舞い上がっちゃって。だから、一番大切なことに気づかなかった」
  悔しい、という感情が、ようやっと心の奥から湧いてきた。これって「騙された」ってことだよね、どうしてそんなことができちゃうの?
  ―― それって、私がどんなことをされても黙って言うことを聞くって思われてたから……。
「わ、私が……経験ないから。だからきっと、声が掛かったんだと思う」
  同期入社した女子社員は他にもたくさんいるし、別にどうしても私である必要なんてなかったんだ。もしも断ったら次のターゲットを探せばいいって、それくらいの気持ちだったんだよ。
  アルコールと煙草の臭いで充満した部屋、誰のものかわからない声を聞いた。―― 嬉しいねえ、本物のバージン喰えるなんて、って。
「こっ、……こんなのって、ひどい。ひどすぎると思うっ! だから私、もう二度と彼らが手を出したくなるような身体になってしまいたいの……!」
  再び悔しさが身体じゅうに溢れてきて、それと同時に止まったはずの涙までぼろぼろと零れてきた。もうどうにでもなれって、そんな気分。
「はっ、遥夏さん! 落ち着いてください、どうかしてますよ……!」
  可哀想な今関くん。私がシャツの袖をしっかりと握りしめているから、逃げることも出来ない。
「そ、そりゃあ、……すぐには気持ちが落ち着かないって言うのはわかりますけど」
  こういうところが、年下くんっぽいんだなって思う。何もかもを真正直に全部受け止めるから、こんな態度になってしまうんだ。そして、そんな彼に私は苛立っている。彼には何の落ち度もないのに、それなのに。
「おっ、落ち着くわけなんてないじゃない。そんなの無理、今の私にはどんなに頑張ったってできない! だって私っ、……私……っ!」
  あの場に今関くんたちが来てくれなかったら。ううん、あのとき現れてくれたことこそが都合の良い妄想で、本当の私はまだあの部屋に居るんじゃないかと思ったら。そうしたらもう、正気になんて戻れっこない。
「べ、別に今までだって、どうしてもって守ってきたわけでもないし。ただ、そう言う機会に恵まれなかっただけのことなんだよっ……それなのに……」
  きっとあのままお付き合いを続けていけば、いつかは武内さんとって。そんな風に考えてはいた。でもそれももう、過去の出来事になっちゃったね。
「遥夏さん―― 」
  たぶん、今関くんは。その先に何か言葉を重ねたいと思ったのだろう。だけど、私はそれを強引に遮った。
「私のこと、好きなんでしょう?」
  真っ直ぐに彼の目を見つめて、そう言えるのがすごい。
「だったら、いいじゃない。全部あげる、だから今夜のすべてを忘れさせて……!」
  すごい乱暴な言葉だなってことくらい、わかってる。だけど、それくらいストレートに伝えないと駄目だろうなって危機感もあった。
「お願いっ、今関くんっ……!」
  これ以上の声を発しようと思っても、喉の奥が震えすぎてどうにもならなかった。だから、今度は実力行使、呆然としたままの彼の胸にしがみつく。
「わたっ、私……っ!」
  このままだと壊れちゃう、心も身体もバラバラに砕けちゃう。そうならないために繋ぎ止めて。せめて、私が私であることをきちんと思い出させて。
  かなり勢いをつけたつもりだったけど、彼の上体はびくともしなかった。服の上から見ているよりも、きっちりと筋肉がついているんだなってわかる。案外着やせするタイプだったんだな、今関くんって。
「……遥夏、さん……」
  それでもまだ、彼は煮え切らない態度のまま。
「嫌なの?」
  そんなはずないのに、って思いつつも、ここはさらに強引に。彼のシャツに、溢れた涙が染みこんでいく。これって、かなり迷惑なことかも知れない。
「……」
  返事はなかった。だけどその代わりに、今まで身体の脇にだらんと下がったままだった彼の腕が、私の背中にそっと回っていく。
  淡く、柔らかく。まるで、とても壊れやすいものをそっと扱うみたいに。そんな風にされることで、私は安全な繭の中に包み込まれていくような気がした。
  温かくて、切なくて、お互いの心臓の音が追い駆けっこして。それくらい、ふたりは近くにいる。
  しばらくはこのさきどうなるのかなとか、そういう気持ちの昂ぶりを自分の内側に潜ませていた。だけど、気の遠くなるような長い沈黙が過ぎたあと、意を決したように今関くんは口を開く。
「すみません、今夜は無理です」
  一瞬、我が耳を疑っていた。そんなはずない、この人だって男の人だもの。こっちから迫っているんだから絶対に受け入れてくれるはず。……それなのに、どうして?
「……え?」
  それまでの高揚した気持ちが一瞬で吹き飛んで、急にまともな思考が戻ってきた。
「それって、どういうこと?」
  どんな顔をしてるのか、見てやろうじゃないかって思った。だから、ぴったりと寄り添っていた身体を強引に剥がす。強い束縛ではなかったから、彼の腕もすぐに緩んだ。
「……こんな風に、悲しい気持ちのままの遥夏さんは嫌です。俺は悪夢から逃れるための道具にはなれません」
  まさか断られるなんて思ってもみなかったから、返す言葉も見つからない。
  でも、今関くんの顔には少しの迷いも感じられず、かといってこちらを軽んじたり馬鹿にしたりする態度も見えなかった。
「でも、俺の心は全部遥夏さんのものです。それだけは信じてください。俺が欲しいのは、……俺だけを見つめてくれる遥夏さんです」
  どうして、そんな悲しい眼差しをするのだろう。私、ひどいことを言っちゃった?
「今の私じゃ、どうしても駄目なの?」
  どこまでも拒絶するつもりなのだろうか、私のその問いかけには即答で頷く。そして、黙ったままでもう一度抱き寄せられた。
「そりゃあ、欲しくないって言ったら嘘になります。……だけど、今夜はやっぱり駄目です」
「そんな風に善人ぶることなんてないのに。私、明日にはすっかり立ち直って、二度とこんなお願いすることもないかも知れないよ?」
  わざと意地悪な口調でそう言いながら、私も彼の背中に腕を回す。そうしてふたりの身体がさらに強く密着しても、今関くんは慌てて振り払うとかそう言う態度はまったく見せなかった。
「そのときには、俺から必死にお願いするしかないですね」
「やだ、それってどんな風に?」
「うーん。……そうだなあ、どうしましょうか」
  隙間も探せないくらいくっついてるのに、私たちの会話はどこまでも普段どおりだった。
  不思議だなって、思う。
  この人のこと、絶対に信用ならないって思ってたのに。武内さんの方が何十倍も何百倍も信じられるって考えていたのに。それなのに、今はこうしていることがとても自然。
「……今関くんって、本当に私の王子様なの?」
  最初に言葉を交わしたときに聞いた、信じられない単語を今更ながら思い出す。
「え?」
「だって、そうじゃなかったら、こんなにタイミング良く登場はできないでしょう」
  返事をする代わりに、彼は私の背中を軽くポンポンと叩いた。
「遥夏さんには敵いませんね。それは……ご想像にお任せします」
  本当に不思議だ。どうして、この人は初対面の私に対し自分のことを「王子です」なんて名乗ったんだろう。もっと普通に、驚かれないように登場することだってできたはずなのに。
「そろそろ、落ち着きましたか?」
  いつの間にか、時計は真夜中の二時。夜明けまではまだ間があるからもう少しゆっくりしていっても構わないとは思うけど、どちらにせよ一度は家に戻らないと出勤できない。
「うん。じゃあ、着替えてくるね」
  自然な笑顔で彼と向き合える自分がすごいなって思った。どう見ても普通じゃない状況の中、どこまでもクリーンな関係を保つことができる私たちってすごい? それとも、結局はどこまでも「友達」を脱せないってことなのかな……?

「やっぱり、とてもよく似合ってますよ」
  彼の見立ててくれたワンピースは、最初から私の持ち物だったみたいにしっくりと肌に馴染んだ。オレンジピンクの色合いが少し子供っぽいかなとも思ったけど、そうでもなかったみたい。
「センスいいんだね、今関くん。もしかして、こういうこと、慣れているの?」
  わざとカマを掛けた私に、彼は首をすくめて小さく笑って見せた。

 

つづく (110128)

 

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