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 翌日の日曜は雨。しかも夜明け前からのザンザン降り。
  とりあえずいつもと同じ時間に母親に叩き起こされて適当に朝ご飯をつまんだあと、また自分の部屋に戻ってごろごろしていた。TVも全然面白くないし、な〜んかすっごくやる気が出ない。
  ―― どうして天の神様は私を見放したんだろう、昨日と今日が逆転してくれれば予定もポシャって万々歳だったのに。
  そんな風にうだうだしながら、ベッドの上で寝返りを打つ。すると見慣れた天井が目の前に現れた。
  机も他の家具も、子供の頃からまったく変化がない「子供部屋」の延長である自室。あいにく大学も会社も楽々通える距離だったから、一人暮らしの経験もない。多少は面倒なこともあるけれど、賄い付きの下宿にいると思えば我慢できる。母親のお小言だって、右から左に流せるよ。
  ……だからっていって、さすがに卵の殻が入った卵焼きはそう簡単に作れないけどさ。
  ああっ、また嫌なことを思い出しちゃった。本当、昨日の久美は最初から最後まで失礼すぎたと思う。いくら気の置けない仲だったとしても、あそこまでコテンパにすることはないじゃない。
  ふーっ、今度とんでもなくリッチな晩ご飯を奢らせちゃうんだから。そうしてくれなかったら絶対に許さないよっ。

  昨日はあれから。
  ちょうど夕焼けが空を染める時刻になって、ようやく待望の観覧車に乗り込むことが出来た。その頃にはかなり乗車待ちの列が短くなってたけど、それでも三十分以上は並んだと思う。あのとき忽然と消えたふたり、久美と須貝さんは混み具合を確認しに行ってたんだ。
  もともとその場の雰囲気を盛り上げるのは得意中の得意な久美だったから、ちょっと退屈な待ち時間も休まずに話し続けて男性陣の笑いを誘っていた。そのほとんどの話題に私が登場するのにはげんなりだったけど。まあ、コレが終われば解放されるって思ってどうにか我慢した。
  そしてそんな私のことを全部わかっているみたいな眼差しで見守っている今関くんがますます嫌な感じ。久美のひとことに少しカチンと来たりすると、すぐに意味深に微笑みかけてくるんだもの。ああいうのって、許せないよね。年下のくせにすごく生意気だと思う。

  もう一度、寝返り。そして手を伸ばせばすぐそこにある机の上を指で辿り、投げ出してあった携帯電話を探り当てた。こういうことも一度きちんと起き上がってやるべきなんだけど、今日はマジで何もかもが面倒になっている。
  こういうずぼらが身体に染みついちゃうと良くないよね、仕事中にはみ出して来ちゃったら困るし。そうは思っても「今日だけは、まっいいかー」とか開き直っちゃうイケナイ私。
「……やっぱ、着信ナシ、か」
  身支度や朝食で三十分は部屋を留守にしてたから、その間に連絡が来たかと期待したんだけどな。
  実は武内さん、昨日の夕方から何度も連絡しているのに、携帯が全然通じないの。短めのメールを三回入れたあとで「これ以上はさすがにしつこいかな」と電話に切り替えたんだけど、何度かけても『お掛けになった番号は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていません』というアナウンスが聞こえてくるばかり。
「はーっ、……どうしちゃったんだろうな」
  そりゃ、すぐに連絡してとは言われてないし、武内さんの方にだっていろいろと都合はあるのだろう。でも、届いたメールや着信履歴を確認したら、掛け直してくれたりするはずだよね?
  ……いやいやいや、こんな風に考えたら駄目だって。
  自分自身に突っ込みを入れつつも、やっぱり気持ちが沈んでしまう。私、武内さんのために頑張ったのに。もしも彼から頼まれなかったら、昨日だって久美に付き合わなかった。そりゃ、あまり成果は上がらなかったけど……。
  まあ、どちらにせよ明日になれば会社で顔を合わせることになる。だからそのときに伝えたって構わないわけだけど……そうだよね、別に予備審査だってまだ先のことだし。きっと武内さんもそう考えているんだ。
  そんな風に思いつつも、窓ガラスに打ち付けてくる雨音を聞いていると心が沈む。早く明日にならないかな、そして武内さんに会いたいな。あの素敵な笑顔を見れば、今は心の中にある不安も跡形もなく消えてしまうはず。あああ、時計の針が三倍くらいのスピードで回ってくれればいいのに……!
  ―― と。
  突然、耳元で響く着信音。ハッと我に返ったものの、ふてくされて投げ出してしまった携帯がどこにあるのかわからない。慌てて手探りで見つけて通話ボタンを押す。それくらいは直接本体を見ていなくても簡単なこと。
『何〜っ、もしかしてまだ寝てた!?』
  でも。残念ながら、耳元に響いてきた声は待ち望んだ人のものではなかった。
「く、久美……!?」
  もうっ、一気に脱力。そのまま再び携帯を放り出してしまいたい気分になったけど、それだけはかろうじて抑えた。
「起きてたわよ、もちろん! それより、何か用?」
  まったく、紛らわしいことしないで欲しいわ。てっきり武内さんからのラブコールかと思って期待しちゃったじゃない。
『え〜っ、べっつに用があるとかそんなじゃないんだけどー。とりあえず昨日は別れ際にあんまり話もできなかったし、やっぱ遥夏にはひとことお礼を言わなくちゃと思って』
すごーい、久美にしては気が利くじゃない。とはいえ、このタイミングはあまり嬉しくなかったけどね。
『昨日は一日本当にありがとう! なんか今回はすごくいい感じになりそうなの、須貝さんと私って話も合うし、彼も私といるととても楽しいって言ってくれてる。このまま上手く行かないかな〜って祈る気持ちでいるわ』
「ふうん、それは良かったじゃない。これからも頑張って、久美。私も応援してるわ」
  何気ない振りで応じながら、私の胸中はとても複雑。だって、須貝さんって結局のところは今関くんとグルになってるわけでしょう? もちろん、見た目はどこまでも爽やかで黒い部分なんてまったく見あたらなかったけど……頭のいい人はそう言う部分を表に出さずに隠し通すのが常だしね。
  でも今の久美には何を言っても無駄のような気がする。私が忠告したところで「またまたー、そんな冗談を言って〜」とか言われちゃいそうだし、それだけじゃなくてこっちが言ったまんまを笑い話にして当人に伝えてしまう危険もあるわ。
  ホント、予測不可能な行動をするんだもんな、久美は。それがわかっているから、こっちも慎重になるしかない。
『ところで、遥夏の方は大丈夫? 武内さんとは、もう連絡取れたんでしょう。ちゃんと謝った?』
「……え、まあ……」
  その電話を今まさに待っているところだったんだよ、とは何となく言えず曖昧に濁してしまう。
『ふうん、ならいいけど〜。私もさすがに責任を感じているんだよね、武内さんはとても寛容な性格だから助かったけど、これが嫉妬深い彼氏だったら大変なことになるもの。はあー、遥夏にも迷惑を掛けるわね』
  それをわかってるなら、とっとと人を巻き込むやり方は止めて欲しい。須貝さんに会いたいなら、自分ひとりで会いに行きなよ。何もきっかけを与えてくれた今関くんに義理立てする必要ないと思うんだけどな……。
『でね、本当に彼って素敵だったの。だって、昨日スカイジェットコースターに並んだときにね―― 』
  結局、久美は昨日のことをのろけたかっただけみたい。その後は延々と打ち明け話が続いていく。その間、こっちはいつ武内さんからの着信があるかと気が気じゃなかったけど、最初にそのことをきちんと伝えられなかったから泥沼。
  そして、結局。その日はとうとう武内さんからの連絡は入らなかった。

 週明け、月曜日。
  午前中の外回りから戻ってきた武内さんにランチに誘われると、久美は気を利かせて他に用事があるような振りをしてくれた。まあ、さすがの彼女もツーショットに割り込む図々しさは持ち合わせていないのだろう。
「ごめん、慌ただしくて。今夜も接待が入ってしまっているからね、毎年のことだけど今の時期は仕事が多くて落ち着かないよ」
  そう言いつつも、相変わらずの涼しげな笑顔を見せる武内さん。さらに申し訳なさそうに付け加える。
「昨日は本当に申し訳なかったね。携帯を家に忘れて出掛けてしまったんだ、何度も連絡をくれたのに戻ったのが深夜で掛け直すこともできなかった」
  そう言われてしまえば、こちらとしても納得するしかないな。武内さんにもそんなうっかりな一面があるなんてちょっと嬉しかったりもする。
  落ち着いた雰囲気の和食屋さん、ランチなのにお膳が二千五百円とか少しお高い値段設定になってる。なんか普段訪れる場所とは違いすぎてどうにも落ち着かない気分になるわ。
「でも残念だな、今日はもっといい報告が聞けると期待していたのに」
  そう言いながら首をすくめられると、何だかすごく申し訳ない気持ちになってしまう。
「す、すみません! でも彼の話しぶりからは、まだ詳しいところまでは考えていない様子でした。たぶんこれから考えるつもりなのではないかと……」
「そんなはずはないでしょう」
  しどろもどろになりながらもどうにか話し始めた私だけど、すぐに武内さんの声に遮られてしまう。
「遥夏ちゃんも知っているよね? 去年もギリギリのところまで僕たちのチームに食い下がってきたのは営業部署の奴らだった。最終審議で打ち負かしたときにはずいぶんと悔しそうな顔をしていたからな、今年はそのリベンジのつもりだろう。わざわざ新人を送り込んで、やり方が姑息だと思うよ」
  えーっ、そうなのかな。でも、武内さんに説明されると、本当にその通りな気がしてきてしまう。
  彼はテーブルの上にグーのかたちのままで置かれていた私の左手を、そっと自分の右手で包み込んだ。
「それだけじゃない、遥夏ちゃんのことまで狙ってきたんだからね。これは本当に許せないやり方だと思う、マナー違反もいいところだ」
  そこで彼は私の左手を包む手のひらにぐっと力を込める。
「このまま引き下がるわけにはいかなくなったよね。僕ら企画開発部の皆は運命共同体なんだ、決して負けるわけにはいかない。最後には必ず勝利を掴み取ることになると決まっているんだ」
  私を真っ直ぐに見つめる武内さんの瞳は、密やかに燃え上がる闘志でみなぎっていた。そう、知っている。この人は本当に強い。他の誰もが自分たちの負けを確信したそのときにも決してひるむことはなかった。
  武内さんは本当にすごい人、その姿を去年もその前の年も私は間近で見てきている。
「遥夏ちゃんにはもうしばらくの間、頑張ってもらいたいと思う。本当にどんな些細なことでもいいんだよ、さりげなくあいつらから情報を引き出して欲しい」
  私の表情が少し怯えたものになったことに気づいたのだろうか。武内さんはそこで一度、ふっと表情を和らげた。
「目には目を、と言うでしょう。向こうだって同じことをやっているんだ、遠慮する必要なんて少しもないんだよ」
  本当は、これ以上は今関くんと接触したくない。そう思ったけど……やっぱり口に出すことはできなかった。

 

つづく (101103)

 

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