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 カモにした女性を巧みに言いくるめ、仲間たちで共有する―― 想像しただけで身の毛もよだつような行為、あのまま行ったら間違いなく私自身も巻き込まれていたはず。
  すぐ身近でそんなことが起こっていたなんて、一体誰が信じるの? まったく恐ろしい限りだ。どうしてこんなひどいことが、今まで野放しにされていたんだろう。
  確かに武内さんの親しくしている会社仲間の人たちは、何となく近寄りたくない雰囲気だったけど……それは「胡散臭い」というよりは「軽薄すぎる」って理由からだったと思う。
  そう、私自身もまったく気づいていなかった。まさか、あの武内さんが犯罪に手を染めるようなことをしていたなんて。
「仲間内で賭けごとを盛んにやっていたみたいで……彼、最近は負けっ放しだったみたいです」
  それで「調達役」を押しつけられたなんて、そんな話ってある? 確かに告白されたこと自体が信じられない出来事ではあったけど、それでも私は純粋に嬉しかったのに。
  短い言葉で淡々と説明してくれる今関くん、人気のない街角に落とされる声にはほとんど感情がこもっていなかった。たぶん、意識してそうしてくれていたんだと思う。
  いくら忘れたいと思っても、忘れられることじゃない。今、この瞬間だって、身体じゅうから噴き出しそうになる負の感情を抑えつけているだけで精一杯。いたわりの言葉にすら、満足な反応ができない状態だ。
「警察に届けなくて、本当にいいんですか?」
  何度目かの問いかけに、また首を横に振る。本当は、そうするのが当然なんだと思う。これ以上の被害を阻止するためには、それが最善の策だ。でも、やっぱり怖い。
「そう……ですね、落ち着くまでは余計なことを考えるのはよしましょう」
  本当に、これまでの数時間をすべてなかったことにできるなら、どんなにいいだろう。でも抑えつけられた手首足首が、無理に引っ張られた髪が、今もじんじんと痛みを伝えてくる。
  もっと真剣に、これからのことを考えた方がいいのかな。そうするだけの責任が私にはあると思う。もともとの原因は、武内さんのことを何の疑いもなく百パーセント信じてしまった自分にある。どこから見ても、誰から見ても、どう考えたって不釣り合いな関係だったのに、それでも降って湧いたような幸せに浮き足立っていた。
  そんな姿が、彼らの目にはどんなに滑稽に映っていたことだろう。何よりも、自分が武内さんにとってそれっぽっちの存在であったことが悔しい。
「遥夏さんとの再会が、こんなかたちで訪れるなんて本当に残念でした。できることならもっと、別の出会い方がしたかったのに……上手くいかないものですね」
  本社に戻ってきてから、今関くんは「危ないから首を突っ込むな」という仲間の静止を振り切って、単独で調査に乗り出したという。その話も私にとってはとても信じられないことだった。
  武内さんも、その仲間の人たちも、社内ではエリート街道をひた走る有能な人材とされている。そんな彼らを敵に回すことで、有利になることなんてひとつもないのに。だいたい、噂ばかりで確たる証拠もないのだから、それを証明するなんて至難の業だ。
  何でそんな余計なことを。でも……もしも彼がいなかったら、私はこうして無事でいることはなかった。
「……ごめんなさい」
  本当は「ありがとう」って言うべきだったんだと思う。でも、ようやく私の口からこぼれ落ちたのは、色々な想いを含んだ詫びの言葉だった。

「シャワー、浴びたいでしょう。好きなだけ使っていいですよ」
  会社とは目と鼻の先にあるシティーホテル。看板そのものは毎日見上げていたけれど、こうして部屋まで足を踏み入れたのは初めてだ。
  何とも落ち着かない気分の私に、今関くんは当然のことのようにさらりと言った。そして、テーブルに置いてあったカードキーを手にする。
「俺、ちょっと出てきます。戻ってくるまで、何があってもドアを開けては駄目ですよ」
  私の瞳が不安に揺れたのが見て取れたのだろうか。彼は無理に笑顔になる。
「大丈夫、すぐに戻ります。……あ、念のため。シャワーの間はバスルームも内側からロックしてくださいね」 
  彼としては、最大限におどけてみたつもりなのだろう。でも私には、とてもその言葉に同調するだけの元気が持てない。
「本当に? ……ちゃんと戻ってきてくれる?」
  震える自分の声を聞いたとき、改めて思う。今の私には、この人以外に頼るあてがないってことに。再び、ひとりぼっちに戻ってしまったら。そのとき、私はどうなってしまうんだろう。でも、だからといって、今関くんをずっと自分の元に引き留めていくことも無理だってわかってる。
「ええ、もちろん。ついでに何か温かいものを買ってきますね、待っててください」
  優しい手のひらが肩先から離れて、私の心は再び不安に震えていた。
  ―― そう、でもこの人だって、すべて信じていい存在なのかわからないんだよ。
  ある日突然、彗星のように目の前に現れた人。常識とかそう言うのを全部取っ払ったみたいにストレートな告白をしてくれて、そこからしてすごく謎めいていると思ってた。
  たぶん、いい人なんだと思う。信じちゃったら、楽になれるはず。でも……そうしてしまうには、まだまだ不安要素が多すぎる。今夜だって、私の言うことを全部聞いてくれているけど、これだってどういう理由からなのかわからないもの。
  ごめんね、今関くん。私は普段よりももっともっと、疑り深い人間になってしまっている。

 あの部屋に充満していたアルコール臭や煙草の匂いは全部消してしまいたかった。だから、身体も髪も何度も何度も洗い流す。そんなふうにしていたら、しまいには指先がしわしわにふやけていた。
  そして、ようやくシャワーコックを閉めて、それからふと考える。
  この先に、私はどうすればいいの? 今まで身につけていたズタズタに引き裂かれてしまった服に再び袖を通す他ないんだ。でも……そんなことをしたら、記憶が全部戻って来ちゃう。
「……遥夏さん、いいですか?」
  その声にハッとして振り向くと、脱衣所兼洗面所になっているスペースにゆらりと人影が見える。磨り硝子越しだから、お互いにぼんやりと確認できる程度だろうけど、何だか急に気恥ずかしくなってバスタオルで身体を包んでいた。
  ……ここは内側からロックしてあるから、彼が入ってくる心配なんて少しもないのにね。
「着替え、用意してきました。こちらに置きますから、着てください」
  私が何か口にする前に、彼はさっさと外に出て行ってしまった。そのドアが再び開かないことを確認しながら、私はバスルームから顔を出す。脱いだ服や下着はフェイスタオルの下に隠して置いたのだけど、その上に新品らしき服がふわりと重ねられていた。
  そう、外から戻ってきたら今関くんも洗面所を使いたいと思うかなと、外側のロックはしていなかったんだよね。考えようによってはすごく危険ではあるけど、自分が外に出たら、そのとき施錠すればいい話だし。
  でもどうして、こんな時間に新品の服を準備できるの? もう、お店とか閉まっちゃってるだろうし……それにそもそも女性ものの服を何の躊躇いもなく購入できちゃうってすごい。
「あの……今関くん」
  ドアを開けると、彼はベッドに腰掛けていた。あいにくセミダブルの一部屋しか空室がなくて、どうにも居心地が悪そう。そりゃそうだよね、いきなりこんなシチュエーションってあり得ないし。
  そりゃ、私だって、まったく躊躇がなかったと言えば嘘になる。でも、今はそれよりもひとりきりにされることへのダメージの方が大きかった。だいたい、あんなことがあったあとだもの。あれ以上のことが起こらないなら、たぶん平気。
「あれ、気に入りませんでした?」
  バスローブに身を包んだ私を見て、彼がとても意外そうな顔になる。そこにはいくらかの落胆の色も浮かんでいたかも。だから、私は慌てて首を横に振る。
「ううん、そうじゃないけど。まだ髪が濡れているから、少し乾いてからにしようかなって」
  タグは付いていなかったけど、いかにも新品の香りのする服。可愛らしすぎず、でも大人びすぎず、すごくセンスのいい一枚だった。しかも私にぴったりサイズ。ただ、……かなり値段が張りそうな気がする。
「でも、どうしたの? こんなの、よく見つけてこられたね」
  深夜のホテルの一室に、成人男女がふたりきり。しかも女の方はシャワーを浴びたあと。
  でもそう言う状況だとまったく思えないほど、私の声は落ち着いていた。
  よくわからない、でもどういうわけか心のどこかで感じ取っている。この人なら大丈夫、私を守ってくれるって。そんなの、ただの思いこみかも知れないけどね。
「従姉がこの近くでブティックを経営しているんです、もう閉店したあとだったけど無理にお願いしました。まだ帰宅前で、良かったです」
  そう言いながら、彼は私にホットココアの缶を差しだしてくる。
「どうぞ、温まりますよ」
  言われるままに一口。口内から喉へと流れていったのは、それほど風味も感じられない甘い液体だった。だけど、それが私の中にゆっくりと生気を満たしていく。
  ふたりでベッドに隣り合って腰掛けていると、お互いの僅かな身体の動きまでがストレートに感じ取れる。コーヒーの缶を飲む横顔、凛とした首筋がかすかに揺れた。そうかあ、この人もちゃんと男の人だったりするんだな。そりゃそうか、ウチの弟にだって彼女はいるし。そういうのも、普通なんだもの。
「……その。色々考えたんですけど……やっぱりこのままにしておくのはまずいと思うんです」
  ガタガタと窓が音を立てる。今夜はそれほど強風じゃなかったはずなのに。それとも大型のトラックとかすぐ前を通り過ぎたのかな。
「俺、遥夏さんが心配です。あいつらは、このまま大人しく引き下がるような相手じゃありませんよ」
  難しい顔をしているなと思ったら、やっぱりそんなことを考えていたのか。
「もちろん、俺はこの先も遥夏さんのことを全力で守りたいと思います。でも、四六時中見張ってるのも不可能だし、そう思うと……」
  ムードを意識しているのか、一番明るくしてもまだ薄暗く思える照明。白熱灯に照らされてるために蜂蜜色に見える肌が、とても綺麗だなと思った。
「大丈夫だよ、今関くん」
  何故か、とても遠いところから自分の声が聞こえてくる。その響きはとても明瞭で、少しも震えていなかった。
「私が、彼らにとって『価値』のない存在になれば、それでいいと思うの」
  そっと二の腕に触れると、空になったコーヒーの缶が彼の手から転げ落ちた。

 

つづく (110126)

 

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