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「絹を裂くような」という表現がある。それは女性の悲鳴を形容する言葉だ。私はその瞬間、部屋中に響いた甲高い音色が、布地の裂ける音なのか自分の叫び声なのかがわからなくなっていた。
「おー、想像以上にいい身体っ! ほんっといいの〜、俺が先に食っちゃって」
  素肌が直接空気にさらされて、ぶるっと震える。すぐ近くで聞こえるのは、舌なめずりをする音。何なのっ、信じられない! 逃げたいっ、絶対に嫌! ……でもっ、手足をがっちり押さえられちゃって身動きもできない。
「……やっ……」
「和之が先にどうぞって言ったんだ、悪く思わないでくれよ?」
  待って、こんなのってあり得ない! しかも、周りには見物している人までいて、中には携帯を構えている姿まで……!
「おっ、お願いっ! 離してっ、離して! 駄目っ、やめてっ……!」
  どうにかして逃れる術はないか、それがほとんど不可能な状況にあるとは知りながら、それでも必死にもがいていた。だって、絶対に嫌っ。どうしてこんなところで、私が。
「うぜー女だな、早く大人しくさせちまおうぜ」
「こーゆーのに限って、すぐに自分から腰を振り始めるもんだからな」
  無理矢理頭を押さえつけられて、髪がつれて痛い。いやらしい指がブラをつまんで押し上げようとする。もう、ほとんど下着だけの状態にはなってるけど、これ以上はどうしても許せない。だけど、もがこうと身体をねじると、かえって相手の動きを助けているような結果になってしまう。
「……やぁ――っ!」
  もう、今度こそおしまいだと思った。諦めていいようなことじゃないけど、どうしようもないんだもの。頼みの武内さんは助けてくれない、他にも私の味方をしてくれそうな人はこの部屋にひとりもいない。となれば、もう、このまま――
  諦めちゃ駄目なのに、自分までに見放されたらすべてがおしまいなのに。悔しさのあまりにこぼれた涙が、生ぬるく頬を伝っていく。

  ―― そのとき。
  すごく、すごく遠い場所から、エレベータの到着を伝えるベル音が聞こえてきた。
  一瞬は気のせいかなとも思ったんだけど、どうもそうじゃなかったみたい。続いて、明らかにこちらに近づいてくる複数の靴音が。
「……どうしたっ!?」
  私を取り囲んでいた複数の人影が、慌てたように顔を見合わせてたその瞬間、何かがぶつかるような鈍い音がしてドアが乱暴に開いた。
「お前たち、こんなところで何をしている! 不法侵入で訴えるぞ!」
  部屋に飛び込んできたその人が、最初は警察官に見えた。でもよくよく服装を確認すると、どうも警備会社の人みたい。手には懐中電灯を持っている。もしかしたら、見回りの途中だったのだろうか。
「やっ、やべぇっ! ……ズラかるぞ!!!」
  それまで余裕綽々に振る舞っていた面々は、あっという間に身を翻して逃げていった。これにはドアの前の警備員さんも唖然、あまりの早業に取り押さえるタイミングも失っていたよう。
  しばらくの静寂のあと、ことりと床が音を立てた。
「―― 大丈夫ですか、お怪我はありませんか?」
  近づいてきた足音にそう訊ねられ、私は自分がようやく今、どのような状態にあるか思い出していた。そう、とても人に見せられるような姿ではないはず。
  それに、もう嫌だ。何が何だか、わからない。複数の男の人の目に晒されて、私はこの先、どうなってしまうところだったの!?
「……っ、駄目っ! 来ないで、来ないでください……!」
  身体を反転させてうつぶせの状態から起き上がろうとしたものの、身体にはどうにも力が入らない状態。全身の震えも止まらなくて、いろんな会話が頭の中で次々と爆発するように蘇ってくる。あとから冷静になって思い起こせば、このときの私はまさしくパニック状態だった。
「……いっ、いやぁああああっ……!」
  うずくまって自分で自分の身体を抱きしめながら、私は激しい頭痛と吐き気に襲われていた。
  何でこんなことになったのか、それがさっぱりわからない。もう何を信じて何を疑えばいいのか、それすらも判断つかなくなってる。今、いたわりの声を掛けてくれているこの人だって、本当に信用していい相手なのかわからないよ。
「もうっ、嫌ぁっ! ……やめてっ……!」
  どんなに振り払おうとしても、次から次へと恐怖が襲いかかってくる。こうしているうちにも先ほどの人たちがここに戻ってきて、私をどうかしようとするんじゃないだろうか。同じ会社の人なんだよ、この先だって何が起こるかわからない。でもどうして、武内さんが。……そんな馬鹿な。
  その後もしばらくは、自分でも聞き取れないような言葉をわめき立てていたような気がする。知らないうちに涙も出てきて、そうすることでさらに震えがひどくなっていく。第三者が近くにいるかいないかも、どうでもいいことになっていた。

  長い長い時間が過ぎたような気がする。でも、もしかしたら、それは一瞬の出来事だったのかも。とにかく、やっと心の中に吹き荒れていた嵐が静まったところで、背後から聞き覚えのある声で話しかけられていた。
「……遥夏、さん?」
  まさか、と最初は信じられなかった。
  だって、ここに彼がいるはずない。そんなこと、絶対にあり得ないことだ。でも……この声を聞き違えることって、ないと思う。
「すみません、手間取って遅くなってしまって。もっと気をつけていなくてはならなかったのに、こちらの配慮が足りませんでした」
  しばらくは、また自分自身の動きが止まってしまったあと、恐る恐る、顔を上げていく。
  今の私にとって、それはとてつもない恐怖だった。何もかも信じられない、そんな中で、まるで一筋だけの希望を真っ暗闇の中に探すような行為。
「……今関、くんっ……!」
  たくさんたくさん泣いたから、もう涙はすべて枯れ果ててしまったのかと思っていた。でも違う、私の中にはまだ、こんなに温かいものがたくさん残っている。
  自分がどんな姿でいるかとか、髪も顔もどうしようもないくらい乱れているとか、そういうこともどうでもよくなっていた。溺れかけた人が流れてきた丸太にすがりつくように、私は突然現れた今関くんの胸に飛び込んでいた。そして、彼も躊躇なく私を抱きかかえてくれる。
  温もりに包まれて、ようやく心が落ち着いてくる。それはまるで粉々に砕けてしまったパーツたちが、ゆっくりと元の場所に戻っていくような心地だった。一度壊れてしまったものは、もう二度と元通りにはならないのだと思っていたのに、人の心には信じられないほどの蘇生能力があるらしい。
  もう誰も信じられないと思うのに、それなのにどうして今関くんにすがってしまうんだろう。自分でも不思議で仕方ない。私、この人のこと信用ならないってずっと思ってた。とんでもない嘘つきで、人のことを騙そうとばかりしていると考えてた。それなのに……今になって、どうして。
「すみません、こんなに怖い思いをさせてしまって……」
  何か返事をしなくちゃって思ったのに、喉の奥で小さく呻き声が出ただけ。いろんな想いが次から次から湧いてくるのに、そのすべてが同じ場所でつっかえている。
「驚きました、まさか彼らが本当にこのような行動に出てくるなんて。……俺は、まだ心のどこかであの人たちのことを信じようと思っていたようです。今は自分の甘さが情けなくてなりません」
  廃墟と化した雑居ビル、そこが武内さんの言うとおりに仲間のひとりの父親が所有する不動産であったのはもうずっと以前までのこと。何年も前に他の人手に渡り、その後も上手く処理できないまま放置されていたという。このような場所はともすれば犯罪行為に利用されることもあり、自治体でも見回りを強化し、近頃では専門業者の助けも借りて警備に当たっていたという。
  そんな説明も、ほとんどが耳から耳へと流れ落ちてしまう。だけど、まだ信じられない。まさか、武内さんが、あの武内さんがこんなひどいことをするなんて。
「アメリカにいた頃から、彼らの悪い噂は耳に入っていました。本人たちは上手く隠しているつもりでしょうが、そのような話は必ずどこからか漏れてくるものですからね。だから、俺は初めからあの人たちを色眼鏡で見ていたわけです。でも……きっと心のどこかで、噂は噂でしかないと思いこみたかったんだでしょう」
  今関くんは、すぐに私をタクシーで家まで送ってくれると言った。服は完全に破けてしまっていて、とても外を歩けるような状態じゃなかったけど、上着を身につければ暗がりならどうにかなりそうな感じ。
  でも……私は、もう少し落ち着かないと無理なような気がしていた。明日から、どんな顔をして武内さんに会えばいいの? 今まで通りに普通に接するなんて絶対に無理だと思う。でも、もしも仮にこちらが今夜のことを騒ぎ立てたとしても、誰も信じてはくれないだろう。
  これから真っ直ぐ戻っても、午前様になってしまう。それにこの服、もしも家族に見られたらどうやって説明したらいいんだろう。
「そうですか、……では、場所を変えましょう」
  その考えには私も同感だった。警備員さんは仕事に戻る前に、しばらくはこの場所に留まることを許可してくれたけど、私としてはこんな場所、一刻も早く立ち去りたかった。それどころか、今夜のすべての記憶をそのままそっくり消し去りたい。
  今関くんは私からそっと身を剥がすと、先に立ち上がった。そして私が立ち上がれるようにと腕を貸してくれる。でも、たったそれだけの間合いが寂しくて仕方ない。今の私は、彼の温もりなしではまともな精神を保つこともできなくなっている。
  調子のいいことばかり言う、年下の男の子。恋愛対象になんて、絶対に思えるはずもない。今だって、そう思ってる。それなのに……。
「とりあえず、ゆっくり休めるところがいいですね」
  その声に、私は無言のままで頷いていた。

 

つづく (110108)

 

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