TopNovel待ちぼうけ*プリンセス・扉>待ちぼうけ*プリンセス・30



1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17/18/19/20/21/22/23/
                  
24/25/26/27/28/29/30/31/32/33/34/35/36/37

   
 武内さんの発表は、規定時間にぴったり収まる理想的な長さで終了した。
  ここまできちんと持っていくまでには、事前に何度も練習したんだろうなと思う。私がチームを外されたあとに新たに加わった事項もあって、想像していたよりもずっと完璧に仕上がっていた。
「それでは、この先は質問をお受けします。どなたからでもどうぞ」
  さすがは毎年の常連者、こういう場面でも落ち着き払っている。そして最初に手を挙げたのは、最前列に座る来賓の方だった。
「そ、その……今の発表の中にスケートのリンクを造るという構想がありましたが、建設費ももとより維持費が膨大になるのではないでしょうか。と、当地は温暖な気候ですし……」
  係の者からマイクを渡されたその人は立ち上がると、少し臆した感じで話し始める。その第一声を聞いたときに、武内さんは少し顔を歪めた。それはほんの一瞬のことであるが、私には彼の心内がはっきりとわかる。
  ―― なんだコイツ、とか思ってるのかな……。
  発言者の方は、私たち社員にとってはあまり馴染みのない顔だった。それもそのはず、今回の再開発計画の予定地になっている自治体代表の方だから。私は前もって外部からの方のお名前や役職を覚えていたけど、武内さんはそうではなかったようだ。
  しかし、こういうときの彼は自分の演じるべき役割をよくわかっている。すぐに自信に満ちた表情に戻り、手元のマイクを取った。
「簡単な試算はお手元の資料別紙に記載してあります。そちらをどうぞご確認ください。また、当然のことですが実際に施設が運営されることになれば利用者から相応の入場料をいただくことになります。周囲には似たような施設もありませんから、かなりの集客が見込めると考えています」
  来賓席の方は、しばらくマイクを握りながら腑に落ちないような表情を浮かべていたが、やがて一礼して席に着いた。
  その様子をゆっくりと目で追ってから、武内さんは再びマイクを手にする。
「他には、何かございますか?」
  この質疑応答は、毎年ほとんど型どおりのものに限られている。発表者がすぐに応えられるような質問を前もって準備して、別部署の社員に発言を頼むというパターンも少なくないみたい。それもどうかなと思ったりするけど、長い間の慣例みたいになっているんだから仕方ないのかな。
「はい」
  次に手が挙がったのは、関係者席だった。その声の主を確かめて、私はぎょっとする。だって、……その人は次に発表を控えているはずの今関くん本人だったのだから。
「……どうぞ」
  武内さんも今回は、とてもわかりやすく不快の表情を示した。そのとき、発表者の立ち位置は照明が落とされていたけれど、それでも付近の人にははっきりと読み取れるほどの。
  まあ、その気持ちもわからないではない。私自身もひどく驚いたもの。こういうパターンは、少なくとも私がこの会社に入ってからは一度も目にしたことのない光景だ。
  あまり好ましいことではないと思うけど、この社内企画にはさまざまな「暗黙の了解」がある。そのひとつが、発表者やその者が所属する部署の人間は質疑応答の際に発言を控える、というもの。結局は本社の上役や来賓者の意見を元に勝敗が決まるのだ。だから、わざわざ出席者同士で足を引っ張り合う必要はないと言うのだろう。
  企画への参加が今年初めての今関くんが、事前にそのことを聞いていない可能性もある。でも午前中から会場にいれば、何となく空気を察知することもできたのではないだろうか。彼はかなり頭のいい人なのだ、周囲の状況も的確に判断できるはず。
「大学を誘致するという計画がありました。しかしながら学生は在学期間を終えれば、それぞれの場所に戻ってしまいます。それでは地域に根付いた発展というのには若干弱いのではないでしょうか? もしも、学園都市としての構想があるのなら、もう少し広く視野を広げる必要があるのではないですか。たとえば、専門の研究機関を同時に呼び込むなど、卒業後も地域に残れるような具体的な対策があればと思いますが」
  また、会場が少しざわつく。社長や取締役を始めとするお偉方も、かなり戸惑いの表情を見せていた。私自身も会場の責任者のひとりとして、これ以上の混乱は避けたいと思う。
  ただ、ここで私がいきなり場を取り仕切るのは好ましくない。やはり、発言者である武内さんに、しっかりとまとめてもらいたいところだ。
「ありがとうございます、こちらの発表にとても興味を持たれたご様子で光栄です。その件につきましては、ご心配には及びません。プロジェクトが本格的に動き出せば、すぐに着手すべき事案だと言うことは我々にもわかっておりますから―― しかしながら」
  彼はそこで一度、言葉を切る。そして、明らかな挑発の色を滲ませた瞳で今関くんと向かい合った。
「そちらには我々以上の切り札があるようですね。次の発表がとても楽しみになりましたよ、おおいに期待しておりますのでどうぞ頑張ってください」
  それまでざわついていた会場が、その一瞬、水を打ったように静まりかえる。見えない糸で結ばれた視線と視線が、その空間の温度をじんわりと上昇させていくようにも思われた。
  やがて、武内さんはするりと視線を外すと、会場をぐるりと見渡す。その眼差しは、私がよく知っている穏やかで親愛に満ちたものだった。
「では、これで発表を終わります」
  会場係が十五分の休憩を告げる。それと同時に会場内にいた人々が我先にと口を開く。あっという間に、その場は耳を塞がないと一歩も動けないほどの騒ぎになってしまった。
「あのっ、―― 今関くんっ……!」 
  何だかすごく悪い予感がする、それを彼にどうにかして伝えたいと思った。
  これは私のただの思い過ごしだろうか、それならそれでもいい。……ううん、むしろそうであって欲しいと思う。
  誰かの声が誰かの声をすぐさまかき消してしまうような会場内で、どんなに力いっぱい叫んでも声は届かない。最後の発表者である彼は、これから控え室で最終の打ち合わせに入るところ。そこから先は、私の関与できるところではない。
  たくさんの仲間たちに囲まれながら、去っていく背中。たった今、誰の目からも明らかな方法で最大のライバルである武内さんに牙をむいた彼は英雄扱いされていた。
  ……そうなんだよな。今関くんが望もうが望まなかろうが、すでに戦いは始まっている。一年に一度行われるこの社内企画は、いつの間にか会社全体に競い合いの精神を植え付けていた。決して悪いことではないと思う。今の状況に満足してぬるま湯に浸かったような毎日を続けていくよりは、どれだけマシかは知れない。
  ただ……どんなに気高い信念であっても、受け取り方によっては最初の意図とはまったく違った解釈をされてしまう。そのズレに気づいたら、すぐに修正していかないと歪みはどんどん大きくなってしまうのだ。
  そんなの誰でもわかってる、でもわかっていても、もっと強い力の前では正義が負けてしまう。
  彼は控え室のドアレバーに手を掛けた。でも、次の瞬間、くるりと後ろを振り返る。そして、最初から私がここにいることにちゃんと気づいていたみたいに、すぐに瞳が捉えてくれた。
  私は息を呑む。
  驚いたことに。次の瞬間、今関くんはゆっくりと微笑んだのだ。それまで痛いくらいに感じていた雑音も消えて、ざわついていた心が嘘のように静まりかえる。
  ―― 大丈夫、心配しないで。
  沈黙の中、そんな声が心に注ぎ込んでくる。そしてドアがゆっくり開かれたとき、元のとおり周囲の音が私の鼓膜を打ち付けてきた。

 

つづく (110414)

 

<< Back     Next >>

TopNovel待ちぼうけ*プリンセス・扉>待ちぼうけ*プリンセス・30