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 瞬時に凍り付く室内。
  先ほどからの緊張が頂点に達して、今や誰ひとりとして口を開くこともない状態。
  それどころか、ただならぬ騒ぎに何ごとかと注意を惹き付けられていた別の課の人たちまでが、聞き耳を立てて事態を見守っているように感じられる。
「……」
  嘘でしょ、武内さん。何故、そんなことを言い出すの。
  私は知らない、どうしてこの書類が自分の引き出しに紛れ込んでいたかなんて。武内さんの、ううん、今のウチの部署にとって何よりも大切なものを私が隠すなんて、そんなはずないじゃない。
  驚きを通り越して、真っ白になってしまった頭の中。感情をなくしてしまった眼差しが見つめる先には、ずっと憧れ続けていた人がいる。仕事でもプライベートでも、この人はいつも完璧だった。信じてついていけば絶対に大丈夫って、そう安心できてた。
  ……なのに。
「手間を掛けたね。とりあえず、捜し物は見つかったから安心して。みんな、慌てさせて申し訳ない」
  ずっと立ち止まったままの空間をふたつに切り裂くような声がして、ふっと目の前の風景に色が戻ってきた。それぞれのデスクに向かう人たちは、ぎこちなく作業を再開する。
  その、何ごともなかったかのような雰囲気が、かえって奇妙に感じられた。そうなると、私もいつまで突っ立ったままでいることはできない。仕方なく元通りに椅子に座ると、隣の席の久美と目があった。
「……あ、あの。久美―― 」
  こんな状況で声を掛けるのもはばかられるけど、無言のままですごすのもちょっと変かなって。もちろん、久美が私のことを疑っているわけない。今関くんとのことだって、ほとんど全部話していたもの。
  だけど、そんな私の言葉を振り切るように、彼女はさっと席を立つ。そして、まるで「話しかけないで」って言わんばかりに私に背を向けた。
「あっ、この書類を総務まで届けてきます……!」
  ……ちょ、ちょっと待ってよ、久美っ……!?
  そんなこと、直接口に出来るはずもなかったけど、たぶんそのときの私の表情は戸惑う心内をはっきりと映し出していたと思う。そんな私たちのやりとりを実はたくさんの視線が追いかけていることも、その直後にわかった。
  何なの、この空気。ちょっと待って、もしかして、みんな本気で疑っているってわけないよね? 今までずっと一緒に過ごしてきて、私がそんな人間じゃないってことくらいわかってるはずだよ。
「―― あ、ちょっといいかしら。山内さん?」
  頭の中が混乱しきったまま、それでもどうにか仕事を再開しなくてはとパソコンのマウスを握った。そこで、沢野主任から声を掛けられる。
「は、はい!」
  良かった、このまま皆から無視を決め込まれたらどうしようかと思ってた。ただ名前を読んでもらえただけで、涙が出るほど嬉しい。
  でも、弾かれるように彼女の方を向き直った私の瞳に映ったのは、先ほどの武内さんと同様に不信感に満ち溢れた眼差しだった。
「悪いけど、あなたに渡しておいた資料をすべてこちらに戻してもらえるかしら?」
  さらに意味不明の言葉を投げかけられ、私の心は再び凍り付いていた。他のメンバーは見て見ぬ振りをしている状態、でもみんな私と沢野主任のやりとりをじっとうかがっているのが感じ取れる。
「信頼の置けない相手に、大切な仕事を任せるわけにはいかないわ。まったく、困るのよね? 仕事に私情を持ち込むなんて最低の行為だと思うわ」
  嘘でしょ、どうして主任までがそんな風に決めつけるの? 違う、私はやってない。だけど、それをはっきり証明できるだけのものを、すぐに取り出して見せることは不可能だった。
「でっ、でも……」
  だからといって、ここで彼女の言葉に従ったら、自分の非を認めることになってしまう。こちらにやましいところはないんだもの、それだけはわかってもらわなくちゃ。
「言い訳なんて聞きたくないわ、そんなの見苦しいだけでしょう?」
  容赦ない言葉がさらに飛んでくる。駄目だ、これでは何を言っても全部跳ね返されてしまう。いったいどうしたらいいの、どんな風に伝えたら信じてもらえるの?
「止めてください、沢野さん」
  すると、緊迫した押し問答に割って入ってきたのは、意外なことに武内さんだった。
「悪いのは、きちんと自分のもちものを管理していなかった僕なのですから。今回のことはすべて僕の責任です。これ以上、山内さんを責めるのはよしましょう」
  そして彼は驚いた顔で振り向いた主任に、悲しげな微笑を浮かべる。
「僕は彼女のことを信じすぎていました。そこにつけ込まれたのですから、仕方ありません。社内企画に向けて今まで山内さんが手がけていた仕事については、すべて別のものと差し替えましょう。それですべて解決ですよ、すでに相当の情報が他に流れていたとしてもそのことは諦めるほかありません」
「え、でもそんな。今からすべてやり直すなんて、とても時間が足りません!」
  すぐさま食い下がってくる主任に、武内さんは静かな声で言う。
「大丈夫、何日徹夜してでも必ず仕上げます。僕は今回の社内プレゼンにすべてを賭けているんです。汚い手を使ってくる奴らにだって、正々堂々真正面から対決しますよ」
  さらに武内さんは、近くのデスクから自分を見上げていたメンバーたちに次々に声を掛けていく。
「佐藤さん、先日の資料Aをもう一度チェックしてくれる? 違う切り口でデータ解析をやり直して欲しいんだ」
「井上くんがやってる年ごとの推移のグラフ、あと五年過去に遡って作り直してくれるかな? その方が、説得力のある内容になると考えたんだけど……」
  そんな風にまんべんなく声を掛けていく中で、ただひとり、私の存在だけが除外されていた。そのことに、すでに誰もが気づいているはず。なのに、皆それを口にしようとはしない。
  結果、私の手元に残ったのは、この先進めてもまったくものにならない仕事ばかりだった。
  ―― どうしよう……。
  それでも、すべての仲間から背を向けられてしまったこの状態の中でも、自分から逃げ出すことはできないと思った。私は何もしてない、ましてや今関くんにチームの大切な情報を流していたなんて、そんなことあり得ない。ここで私が屈することは、今関くんの非を認めることにもなってしまう。
  そんなのは駄目、絶対に負けてはならない。でも……この先、どうしたらいいの……?
  しばらくして隣に戻ってきた久美にも、早速新しい仕事が回されてくる。普段なら、こちらが「止めなよ」とたしなめなくてはならないほどに雑談が多い彼女なのに、今は別人になってしまったよう。意識して私の方を振り向かないようにしているみたいだ。
  他のメンバーはいつも通りに和気藹々とした雰囲気に戻ったのに、私ひとりが浮いている。……というか、そもそも、この先私はここでどうして行けばいいの……?
「―― 山内さん、ちょっといいかな?」
  そんなとき、私に声を掛けてきたのが二宮課長。
「第二応接室に、お茶をふたつ運んでもらいたい。急いでお願いするよ」
  困り切ったような眼差しからは、すでに彼の伝えたいべきことが溢れ出しているような気がした。

「……ええと、もう一度仰っていただけますか?」
  使用中の札の掛かったその部屋に入ったとき、課長はすでに席に着いていた。たぶんそんなところだろうなとは予想していたけど、その通りに向かいの席を勧められる。
  来客以外にもこのスペースを利用することはある。でもそれは別部署との内密に進めなくてはならない事案を打ち合わせするときなどに限られていた。私自身、こんな風に呼び出されたのは初めて。
  低いテーブルを挟んでふたりきり、課長は膝の上で手を組んでいた。
「今、伝えたとおりだよ。君には今回のことから外れてもらうことにした」
  それは、最終通告とも言えるものだった。課長にこのようにはっきり言われてしまえば、私にはもう戻る場所がなくなる。そんな、ひどい。まさか課長までが私を疑っているの?
「で、でもっ……でも、私は……!」
  あんな風に動かない証拠を挙げられてしまい、私に逃げ場がなくなったことはわかってる。でも、やってないものはやってない。どうしたら信じてもらえるかはわからないけど、このまま自分の非を認めるのは絶対に嫌。
「ああ、もちろん、山内さんのことを百パーセント疑っているわけではない。今までの君の仕事に向かう姿勢から思えば、とても信じられないことだからね。……でも、今は期日が迫っていることもあって、皆が追い詰められている状態だ。今すぐに真実を突き詰めようとするのは、いい方法とは言えない」
  ようやく心に触れる言葉に出会えて、私は安堵した。でも、課長が実際どう判断しているかはわからない。確かに今、一番大切なのはメンバーの心がひとつになること。毎年、大詰めのこの時期はみんなの気持ちにゆとりがなくなって殺伐としてくる。ただですら、そう言う状況なのだから、この上に厄介ごとは勘弁して欲しいということなのだろう。
「だから、君にはしばらく当日に向けて会場設営の準備をお願いしたい。場所は例年通り、第一会議室と第二会議室を仕切りを取り払った状態で使う。週明けからは準備のために借り切ってあるから、それまでは機材の手配など進めていればいいだろう」
「……」
「武内くんもああ言ってくれているんだ、無理に話を大きくすることはないだろう。すべては今回のことが終わってから、はっきりさせればいい。それまでは君も皆と顔を合わせづらいだろうから、ひとりでいる方が気楽だろうしね」
  課長が私を気遣ってくれているのはわかっていた。わざわざ人目に付かない場所まで呼び出してくれただけでも、精一杯の誠意を感じる。でも……本当は「絶対に信じている」って言って欲しかった。だけど、実際問題、そんなのは無理。
  武内さんと私、ふたりの言うことのどちらを信じるか。それはわざわざ問いただすまでもないことだ。今までの社内での信頼の度合いはまったく違う。そう……私なんて、本当にちっぽけな存在でしかなかったんだ。
  先に課長が部屋を出て、ひとりぼっちで残される。そのときになって初めて、ほろりとひとしずくの涙が頬を流れ落ちた。

 

つづく (110208)

 

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