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 週末の早朝ということで、人影はまばら。本当にこんな時間でいいんだろうかと思いつつ、もう一度時間を確かめる。大丈夫、待ち合わせまでまだ十五分もある。
  昨日はいろいろなことがありすぎて、そしてその前までもとにかく大変な日々が続いていたから、昨日の晩は家に戻って着替えたら、あっという間に寝入ってしまった。晩ご飯を食べに来ないことに心配した母親が呼びにきてくれたらしいけど、そんなことにも全然気づかなかった。
「……あれ」
  しぶきを上げている噴水の向こう、見覚えのある立ち姿が見える。
  嘘、私の方が絶対に早いと思ったのに! そう思いつつ近づいていくと、やっぱり彼だった。
「おはようございます! 遥夏さん」
  うわーっ、青空をバックになんて爽やかな笑顔。そしてちょっとお洒落してる、薄手のジャケットの下にはボタンダウンのカラーシャツ。てっきりこの前みたいに気軽な学生ファッションで現れると思ってたから、すっごく意外だった。
「わあっ、その服を着てきてくれたんですね! 嬉しいなあ、やっぱりすごく似合ってますよ」
  気づかないはずはないと思ったんだけどね、いきなり指摘されるとちょっと恥ずかしい。あの夜、彼が私のために用意してくれたワンピース。動きやすい格好でと言われていたから、レギンスにぺたんこのシューズを合わせた。そうすると急にイメージが変わるのがすごい。この服って、何通りにも着こなせそうだ。
「そ、そうかな。ありがとう。……今関くんもすごく素敵だよ」
  そんなこと、改めて口にするまでもないと思うんだけど。だって、きっと彼はその類の言葉を長いことずっと浴び続けてきた人間だもの。
  こんな褒め言葉、もうすっかり慣れっこになってると思うんだけどな。すぐにキュートな照れ笑いを返してくれる。
「良かった、今日は遥夏さんのために決めてきたんですよ。実はなかなかコレ、という組み合わせにならなくて、昨日はずいぶん悩みました。そのお陰で、少し寝不足です」
  真っ直ぐな視線に笑顔で応えるのが、まだちょっと恥ずかしい。知らないうちに頬が熱くなってきて、それを見られたくないからついつい俯きがちになる。
「だ、だったら、こんな早い時間に待ち合わせなくたって良かったのに」
  まだ朝の七時だよ、普段の出勤時間よりも早かったりする。実は私も、起きるのが辛かったりしたんだ。
「いったい、どこまで行くつもりなの?」
  昨日は待ち合わせの場所と時間を決めただけ、行き先までは聞いてなかった。何だかそれを訊ねると、私がここに来ることが決定してしまうような気がして。そんなことで意地を張るなんて、どうかしてるけど。
「今回の再開発計画の候補地、直接ご自分の目で見てみたいと思いませんか? 遥夏さんにはこれから、あの場所がどんな風に変わっていくかをずっと見守っていて欲しいんです。だから、今日は記念すべき始まりの日、です」
「そ、そうなの……」
  ちょっと意外、さすがにそこまでは思いつかなかった。てっきりまた、遊園地とか。さもなくば動物園とか……動きやすい格好限定ってことは多分そのあたりだろうって考えてた。
「高速を使えば早いんですけど、まだちこっちの道を運転するのは少し自信がないし……東京駅から直通バスが出ていてそれを使う手もありますけど、今日のところは電車の旅と行きましょう。なんか、乗り込んだらすぐ爆睡してしまいそうですけど」
  そう言いながら、もう大きなあくび。さっきの言葉どおりに本当に夜更かしをしたのかも。
  それに……彼だってすごく疲れているはずだよ。あれだけの発表に仕上げるために、どんなに多くの時間と労力を使って下準備をしたか、私だって想像がつく。一番大変だったときに側にいられなかったこと、今はすごく悔しい。そりゃ、私がいたっていなくたって、今関くんにはそれほどの違いはなかっただろうけどね。
「ねえ、遥夏さん」
  少し身をかがめて、今関くんが耳打ちをする。息が直接耳に触れて、すごくくすぐったい。これって、わざとやってるの?
「なに?」
「手を繋いでもいいですか?」
  驚いて顔を上げたら、恥ずかしそうな笑顔がそこにあった。
「そっ、……そんなこと! わざわざ断らなくたって、いいわよ……!」
  あーやだ、私って可愛くない。ぷいっと横を向いて見せたら、彼はくすくすと笑ってる。
「そうですか。では、遠慮なく」
  大きな手のひらが私の手をきゅっと掴む。それだけのことなのに、まるで初恋のように胸が高鳴った。

 目的地まで二時間近く掛かると言われた快速電車。がらがらの車内でボックス席に隣同士に腰掛ける。
  窓際に座った今関くんは、陽射しの差し込む窓にもたれながら、宣言どおりにすぐ寝入ってしまった。あまりの早業に、私は呆れるばかり。仕方なく、窓の陽射しよけを下げてあげたりしてね。そのあとはしばらく、物言わぬ寝顔を眺めていた。
  ―― 本当に、おかしな人。
  憧れの彼女との初デートでしょ、どうしてこんな風に眠りこけられるの。短気な女性だったら、怒って電車を降りちゃうかも知れないよ。
  一度解いた手のひらの上に、もう一度自分の手を載せてみる。そうしたら、すぐにきゅっと握りしめてくるの。もしかしてタヌキ寝入り? とか思ったけど、どう見ても熟睡してるよなあ……。
  ま、いいかって。私も思いきり握り返したりして。そんなことしてたら、こちらにまで彼の眠気が伝染してきたみたい。気がついたら、私までうとうとと夢の中に入っていた。

 白いステージの上、私はひとりで立っていた。
  眩しすぎて、周りがなにも見えない。だけど、どこからか懐かしい音楽が流れてくる。いつの間にかその曲に合わせて、私は踊り始めていた。床を弾くトゥ・シューズの音、ふわふわと揺れるドレスの裾。
  ああ、そうか、って思う。
  すごく久しぶりに見る夢だ。これは私が中学生になったばかりのステージ。短い小曲だけどソロを任されて、とても張り切っていた。白い靄の中、必死で指を伸ばす。曲はまだ続いている。私は床を蹴って高く宙に舞い上がった――

「遥夏さん、着きましたよ?」
  静かに揺り起こされて、ハッと目を開ける。相変わらず、人影のまばらな車内。のんびりした片田舎の町並みが窓の外に続いていた。
  それでも、私の頭はなかなか現実を受け入れようとしない。まさか今になって、あの夢を見るなんて。自分の中で永遠に封印してしまいたかった記憶。それなのに、信じられないくらい懐かしくて……そしてやさしかった。
  駅を降りると、広いロータリーが広がっていた。それなりに賑わいのある駅前には大手スーパーの建物があり、その他には銀行や塾、予備校などの看板も見える。だけど、いつも私の見慣れている風景と比べて、すごく空が広い。―― ということは、それぞれの建物が低いってことになるんだね。
「ここからバスが出てるんです。……待ち時間が少ないといいのですけど」
  今関くんは誰に訊ねることもなく、さっさと「5」の数字のついたバス乗り場に歩いていく。手を繋いだままの私は、彼に引っ張られて同じ方向へ進むことになる。コンパスの差かな、歩く速度が違って困った。
「……あ、良かった。五分後に出ます」
  時刻表を確かめてから、止まっていたバスに乗り込む。お金は降りるときに支払うみたい、始発だと乗車券もない。
「駅前がこれだけ賑わっていて……どうして再開発が必要なの? 今のままで十分じゃない」
  週末の駅前にはたくさんの人が出ている。買い物をしたり映画を観たり、娯楽施設だっていくつもあるみたい。確か再開発候補地として挙げられた新住宅市街地は、この駅からバスで十五分ほどの場所にあったはず。そんな場所に巨大なショッピングモールを建設するのは……ちょっと現実的じゃないかも。
「ふふ、それは現地に行けばわかりますよ」
  ふたりがけの席に並んで座ると、今関くんは遠足に出掛ける子供のような笑顔になった。まっすぐな瞳に吸い込まれそうになる自分が恥ずかしくて、それでつい目を逸らしてしまう。
「そ、……そう。わかったわ」
  だけど、ばれてるよね。頬が赤くなっちゃってるの。こんなに近くに当たり前みたいにいるってこと、まだ信じられない。
  バスは私たちの他に数名の客を乗せて発車した。あっという間に街中を抜けて、辺りは見渡す限りの田んぼと畑の農村地帯に入る。
「すごい、……家があんなにまばらに建ってる」
  休日の午前中だというのに、畑にはたくさんの人が働いていた。中にはトラクターを操作している女性までいて驚いてしまう。
「この辺はほとんどの世帯が兼業農家です。若い人たちは皆、平日は仕事に出てますから、休みの日にまとまって農作業をするんです。だから、普段の日はもっと静かですよ」
  何人かいたはずの乗客は皆途中のバス停で降りてしまい、終点で降りたのは私たちふたりだけだった。
  そこは小さな街、銀行や郵便局、スーパーマーケットやドラッグストアが並んでいる。その向こうには病院の看板も見えた。人影はまばら、とても静かだ。
「あ、田中さん! わざわざありがとうございます」
  大きな樹の前に立っていた人に、今関くんは明るく声を掛けながら近づいていく。つられてそちらを見た私は、ハッとした。
  ―― この人って、昨日のプレゼンに来ていた……。
  そう、武内さんの発表のあとに質問に立ったその人だ。慣れない場所にいきなりやって来て戸惑いながらも、必死に自分の意見を述べようとする姿勢がとても印象的だった。
「やあ、今関さん。昨日はお疲れ様、素晴らしい発表だったよ」
  応えるその人も満面の笑み。……あれ? このふたりって知り合い!? でも、そんな素振り、昨日は全然見せてなかったのに……。
「そうそう、今関さん。早速ですまないがね、青年会の代表が君と話をしたいそうなんだ。ほら、あちらにいるのがそうだ。わかるかな?」
  バスロータリーの向こうで会釈をしている男性が見える。
「こちらのお嬢さんは、私が案内しよう。それでいいかな?」
「はい、―― じゃあ、遥夏さん。ちょっと行ってきます」
  走り去っていく今関くんの背中を目で追いながら、私の傍らに立つ初老の男性は眩しそうに微笑んだ。

 

つづく (110429)

 

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