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 まるで四方八方をガラスの壁で塞がれてしまったような気分。
  普段どおりに時間が流れて、いつの間にか外は真っ暗になっているというのに、そういうことを感じる感覚すらどこかに消えてしまったみたい。
  ―― 絶対に負けないって、そう誓ったのに。
  あっという間に辛い状況にくじけそうになっている私。本当にどうしようもなく情けないほどに、ちっぽけな存在であったことを思い知らされる。

  そんなときだった。本社のビルを出たのとほぼ同時に、カバンの中の携帯がかすかな振動を見せたのは。
「……?」
  最初は、幻聴かと思った。そして、次の瞬間には、とてつもない恐怖が全身に走った。今、この瞬間に私に連絡をしてくる存在。それは武内さんか、その知り合い以外に考えられない。何もかもから疎外されてしまった、そうなればもう私に直接コンタクトを取ろうという人間など現れるはずもないのだ。
  ―― 久美まで、あんなに冷たい態度をとられてしまったんだから。
  彼女の言い分が分からないわけではない。もしも自分が彼女の立場だったら、まったく同じような行動を取っていたかも知れない。ギリギリのところに来れば、人は皆保身に走る。久美が私よりも武内さんを信じてしまったとしても恨めはしない。
  ―― だけど……。
  こちらがぐずぐずしているうちにも、途切れることもなく存在感を示し続ける発信音。ようやく手にした携帯の液晶画面を見たときに、心臓が止まりそうになった。
『……遥夏さん?』
  探るような声で相手をはっきり確認して、息が詰まる。何か答えなくてはと思うのに、すぐにはそれができなかった。鼓動が時を刻んでいく音が、はっきりと感じ取れる。早く言葉を返さなくちゃ、でも無理。
『あ、今話してて大丈夫ですか』
  こちらが言葉を発する前に、彼の方からさらに問いかけられる。私は何度か唇を動かす練習をしてから、ようやく意を決して答えた。
「うん、今会社を出たところだから。だから、平気だよ」
  自分の声が震えていないかどうか、そればかりがひどく気に掛かる。きちんと年上らしく、しっかりとできたかな。電話越しだから、余計なことが伝わらないことを祈ってしまう。
『そうですか、良かった』
  ほっと、小さな吐息がこぼれるのを聞いて、胸がじんと熱くなる。刹那、こみ上げてくるものを私は必死で抑えていた。
「今関くんは、今どこにいるの?」
  彼の声の背後にアナウンスの声が響いている。もしかして、駅? どこかに出掛ける途中なのかな。
『ええ、どうしても今日中に済ませなくてはならない打ち合わせがあって、これからクライアントの会社に向かうところなんです。でも、どうしても遥夏さんのことが気になって……』
  ああ、やっぱり。そんなところか。
  それにしても、どうしてそんな申し訳なさそうな声になるの。今関くんは何も悪くないのに。それどころか、社内企画の準備の他にも外せない仕事を抱えてるなんて本当に大変なのに、それでも私のことを気に掛けてくれるなんて。こちらこそ、すごくすごく申し訳ない。
「え、そうなの? こっちは全然大丈夫だよ」
『そうですか?』
  努めて明るい声で言ったのに、今関くんはあまり腑に落ちてないみたい。
  そりゃそうだよね、昨夜の私はすごく荒れていたし。まさかすぐにすっきり立ち直るなんて、考えられないだろう。不自然なのは自分でもわかる、だけど頑張らなくちゃ。
「うん、いつもどおり何も変わらないよ。そりゃ、ちょっと忙しかったけど、そんなの当然だし」
  自分を景気づけるために、わざと背筋をピンと伸ばしてみた。そうすることで、元気の良い声が出るみたい。そんな私に、今関くんは一呼吸置いてから話を続ける。
『でも……実は今日のランチに、偶然久美さんにお会いしたんです。でも遥夏さんが一緒じゃなかったんで、不思議に思って声を掛けようとしたら、避けられてしまって。それで、もしかして遥夏さんが何か困ったことになっているんじゃないかと思って』
  その話を聞いて、私はようやく彼の声が沈んでいる理由を知った。
  今までずっと気になっていたけど、勤務時間内に連絡を取るのはまずいと我慢してくれていたんだって。なんかものすごく気を遣わせてしまって、本当に申し訳ない限り。
「えーっ、そんなことあるわけないじゃない。今関くんは考えすぎだよ」
  どうしてこの人ってこんなに優しいのって、信じられない思いだった。
「今日は仕事が立て込んでて、みんなと一緒に出られなかっただけ。それだけだから」
  咄嗟にでっち上げの理由を口にしながら、私は私自身に強く誓っていた。
  今回のこと、絶対に今関くんには知られないようにしなくちゃ。だって、もしも気づいたら、彼はきっと自分のせいだと責任を感じてしまう。今の事態を招いたのは私自身、だからひとりの力で乗り切らなくちゃ。
  それに……もうこれ以上、今関くんを巻き込みたくない。
『本当に? なら、いいんですけど』
  まだ少し疑っているみたい。まあ無理もないか、昨日の今日だしね。いつも連れだって歩いている私と久美が別行動をしていたら「あれ?」って思うのも無理はない。それに彼はすごく勘も良さそうだ。
「うん。ただね、この先はこっちの部署には近づかない方がいいよ。今関くんは初めてだから知らないだろうけど、社内企画のときにはみんなすごくピリピリしているから。今関くんだって、何でもないことを勘ぐられたりしたら嫌でしょう? 本当はこんなじゃ困るんだけど、まあ仕方ないんだ。だから、久美のことも許してあげて」
  この人のことだから、気になって企画開発部まで覗きにこないとも限らない。そして、デスクに私の姿がなかったら、それだけで不審に思うはず。だから駄目、どんな理由を付けてもいいから、今は遠ざけなくちゃ。
『まあ……遥夏さんがその方がいいと仰るなら、従います』
  落ち込んでいても、ここまで空元気になれるんだな。自分の演技力にちょっと感動してしまう。どうにか上手く誤魔化せたみたい、今関くんも納得してくれた。
「うん、是非そうして。だって、社内プレゼンの前にトラブルになるのはお互い嫌でしょう?」
  そうだよ、今関くん。あなたは自分に任せられた仕事に集中して。私はもう、今関くんの助けがなくてもやっていける。だから大丈夫。
『ええ、それは……あ、あとひとついいですか?』
  ゴーッと電車の入ってくる音がする。だから会話もここで終了かと思ったのに、彼はさらに訊ねてくる。
『よろしかったら今週末、ちょっと遠出しませんか? 気分転換になるかなと思ったんですけど』
  刹那、私は息を呑んだ。急に冷たい手に背中から突き飛ばされた心地になる。
「え……それは、良くないと思う……」
  いきなり激しくなる動悸、そのバクバクとした音をかいくぐりながら、私は上手い断りの言葉を探すことに躍起になっていた。
「あのっ、とりあえず現段階では私たちはライバル同士ってことになるでしょう? 所属部署が違うんだもの、社内企画が本格化してくると、どうしてもそんな風になっちゃうの。だから全部が終わるまでは、ふたりっきりで会うなんて、絶対に無理だよ」
  今関くんが、百パーセント善意で誘ってくれているのはわかる。でも、だからこそ、彼を巻き込むことはできないと思う。
  正直、武内さんやその仲間の人たちの今後の行動はまったく予測がつかない。もしも少しでも私たちが不審な行動をすれば、すぐにチェックが入りそう。向こうは複数だ、こちらのすべてを把握することだってそう難しくはないはず。
『俺の方はそんなの、全然構わないんですけど』
  ちょっと不服そうな声、でもここで負けるわけにはいかないわ。
「ううん、これは今関くんだけの問題じゃないよ。今回の最終プレゼンは営業部の代表として参加するんでしょう、その期待を裏切っては駄目。とにかくクリーンに行かなくちゃ」
『え、でも……』
  いつになくしつこく食い下がってくる今関くん。でも私の方も、折れる気持ちは全くなかった。
「聞き分けのないことを言わないで。……それに、私だって今関くんの当日の発表がすごく楽しみなの。だから、今は全力を尽くして。そのあとのことは、終わったあとに考えよう」
  不思議だね、弟と同じ年の子だと思うと、こんなに強気に出られちゃう。いつも家でやってるみたいに、ぽんぽんと言葉が出てくるんだもの、何だかこんなときなのに笑っちゃう。
『えーっ……、遥夏さんには敵わないな。わかりました、降参します』
  ふふ、可愛い。ちょっといじけたみたいな言い方も、いいなって思う。
「良かった。じゃあ、そろそろ切るね。電話してくれて、どうもありがとう」
  そう言って通話をオフにしたとき、私の口元は笑っていた。

  笑顔になることなんて、もう無理かと思ってたのに不思議だね。そう、私はまだひとりじゃなかった。信じてくれる人がちゃんといる。すごく力が湧いてくる。
  だから、負けない、この先もしっかりと頑張らなくちゃ。今、自分に任された仕事をきちんとこなして、それから先のことは全部が終わったときに考えよう。そして、誰よりも何よりも、今関くんのことを守りたい。そのためには彼がこれ以上私と関わることがないように、そのことだけを気をつけなくちゃ。
  彼に寄りかかりたい、すべてを話してしまいたいという気持ちがあるのは事実。この先、自分がどうなるかまったくわからないもの。適当な理由をでっち上げられて、会社を追い出されることだって十分にあり得る。そうなったら、私には本当に何もなくなってしまうのだから。
  ―― でも、そんなの駄目。ここで負けたら、一生自分自身を許せなくなりそう。
  結局、私たちは始まるはずのないふたりだったんだ。だからこのまま離れるのが一番。そう思ったら、ようやくひとしずくだけ涙がこぼれた。

 

つづく (110225)

 

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