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 明日の会場となっている一番広い会議室ふたつ、そしてそのとなりの控え室になっているもうひと部屋。照明や空調のスイッチをすべて確認して、戸締まりも完了。誰もいない広い空間に、私ひとりだけの靴音が高く響いていく。
  ひとりぼっちにも、だんだん慣れてきた。
  職種の中にはずっとひとり個室に籠もって行う仕事も少なからずあるらしい。最初はあまりの孤独に耐えきれなくなりそうになるけど、次第にその状況が普通になってしまうって聞いたこともある。
  新卒で配属された先が学生時代の延長のような賑やかな部署だったから、どこも皆同じような感じなんだろうと思いこんでいた。でも違うんだね、同じ会社の中でもちょっと背伸びをして別の場所まで見渡せば、今まで思いも寄らなかった世界が広がっている。
  長い廊下に、施錠の音がひときわ大きく響く。そこで、ひとつ溜息。こんな役割をあてがわれるのも、残すところあと一日になっちゃんたんだな、って。
  人気のないロッカールームで着替えを済ませ、外に出る。ふんわりと優しい夜風が、「お疲れ様」って言ってくれてるみたいに頬をくすぐっていった。
  ―― 帰っておいでよ。課長もね、何も遥夏を追い出したいと思ってこんな仕事を押しつけた訳じゃないんだよ……
  久美はあんな風に言ってくれたけど、正直なところ自信がない。今更犯人捜しをはじめたって仕方ないし、かといって書類紛失そのものをなかったことにしてもしっくりこないと思う。
  武内さんと私、どっちが信頼できるかと言ったら……答えは最初から出ているようなものだし。
  何も、今まで不真面目な態度で日々の仕事をこなしてきた訳じゃない。いつどんな状況にあっても、自分にできる最善を尽くしてきたと自負できるもの。でも、それが私の中での精一杯だとしても、もともとの器の違う誰かと比べられたら、どうにもならない。
  それに、私はまだ、武内さんのことを全面的に疑えないんだ。
  あんなことまでされてどうしてって、自分でも納得がいかないんだけど……そもそも直接的な被害に遭った訳じゃないし。あの夜の出来事が悪い夢だったらどんなにいいかって考えてしまう。
  だけど、先日の態度では……武内さんはまだ私が彼の言いなりになるんだと信じているみたい。そして、もし私がその要求を受け入れなかったら? その答えは考えるのも恐ろしいものだ。
  そう……なんだよな。
  私自身はいざとなれば彼の前から逃げることができる。でもそうしてしまったら、また新たなターゲットとなる誰かが出てくるんだよね? それだけは阻止したい、これ以上被害が拡大するのは絶対に駄目。武内さんにはこれ以上悪い人になって欲しくない。
  でも、どうすればいいんだろう。
  以前に聞いたことがある、ウチの会社にはいわゆる「目安箱」みたいな部署があると。そのときは自分には関わりのないことだと聞き流してしまったけど、セクハラやパワハラなど上司にも言いにくい相談を持ちかけることができるって話。でも、仮にもしもそこに訴えたとしても、その先ひとりでどうにかできるのだろうか。
  ―― 今関くんに、相談してみようかな……。
  彼とは、火曜日以来ゆっくり話をしていない。プレゼンを間近に控えてお互いにとても忙しかったし、そもそも私があまり彼と一緒にいることを望まなかったから。もちろん会場設営が終わるまでは、遠くから包み込むように私をサポートしてくれていた。
  周囲の反対を押し切って、独自に調査を続けてきたという今関くん。武内さんたちのことをこのまま野放しにするわけにはいかないって、揺るぎない正義感が彼の中に漲っているのはよくわかった。そうなれば、何かしらの策をこの先に考えているのかも知れない。
  ここでひとりで悩んでいるよりも、誰かと一緒に問題を突き詰めた方がいいと思う。その相手は今関くんをおいて他にいない。私が今、心から信じられるのは彼ひとりだけなんだから。
  本社ビルを出て少し歩いたところで、カバンの中の携帯を探る。すぐに指先に触れた硬い感触にホッとした。すごいよね、こんな小さくて平べったい箱形の機械が、心と心を繋いでくれている。
「……ええと」
  アドレス帳を開くまでもないかな、着信履歴から彼のナンバーを探せばいい。そう思って操作を始めた私の耳に、どこからか甘えるような笑い声が聞こえてきた。
「……やだぁっ、そんな言い方、しなくたっていいじゃない〜!」
  確かに聞き覚えのある声だった。だから、つい周囲を見渡して声の主を探してしまう。そして、見つけた人影は――
「……」
  遙か前方、連れ立って歩いている、見るからに仲の良さそうな二人連れ。背の高い男性に、モデルのようなすらりとした体型の女性が寄り添っている。
「ねえねえ、今日はどこに連れて行ってくれるの? ……え、いいじゃない。前祝いってことで、ぱーっと行こうよ! 何なら、私が馴染みのお店を紹介してあげる……!」
  ―― どうして、あのふたりが。
  一度視界に入れてしまうと、もうその場所から目を逸らすことができなくなってしまう。だけど、どうして。何で、あのふたりが一緒にいるの……?
  今関くんと、もうひとりは……そう、武内さんの元カノ・宮田さん。
  それ以上、歩みを進めることもできなくなって、その場に立ちつくしてしまう。そんな私の存在にどうして気づいたのか、宮田さんが一瞬だけこちらを振り返った。
  コノヒト ハ ワタシ ノ モノ ダカラ。
  ……まるでそんな台詞が伝わってくるような眼差し。
「ほらぁ、今関くんっ! 何をぼんやりしているのっ、早く行こ!」
  さりげなく腕を組もうとする宮田さんの行動をやんわりと阻止した彼は、私に気づかない。もちろんここで少し大きな声を出せば、たちどころにわかってくれるだろうけど……どうしてそんなことができる?
  ふたりの姿がどんどん遠くなる。そして、角を曲がって見えなくなっても、私はその場から動くことができない。
  しっかり握りしめていたはずの携帯電話は、いつの間にかカバンの底に落っこちていった。

 ―― だから、信じちゃ駄目だって思ってたのに……。
  その後、どこをどんな風に歩いていたのかもわからない。心が、頭の中まで空っぽになってしまって、すべての思考を受け入れることを私自身が拒否していた。
  彼は最後の命綱のような存在だったのに、それすらも途切れてしまったなんて。
  そう……なんだよね。今関くんは最初に出逢ったときから、何ともつかみ所のない不思議な人だった。真っ直ぐに見つめてくる瞳には一点の曇りもない、でもその一方で謎めいた行動ばかりが目に付く。信じようと思った瞬間にするりとかわされて、そしてまた不信感に固められようとしているときに柔らかな本音を覗かせる。
  人の言葉なんて、その場しのぎの信用ならないもの。そんなことくらい、武内さんとのことで痛いくらいわかったはずなのに。
  また、私は騙されそうになったの? 「俺の心は全部遥夏さんのものです」って今関くんは言ってくれたのに、それすらも口から出任せだったってこと? わからない、……もう何も、わからない。
  そのときだった。
「……あれ、姉ちゃん?」
  どこからか、私を呼ぶ声がする。そして、やっと気づく。私は自分でも気づかないうちにいつもの電車に乗って、自宅の近くまで戻ってきてたんだってことに。
「驚いた、今帰り?」
  まん丸な目を見開いているのは、私の弟。同じ場所に帰る途中なんだから、鉢合わせをしても不思議はない。今までだって、何度かこんなシーンはあった。そう言えば、彼が社会人になってからは初めてだな。
「そっちこそ、今日は早いじゃない」
  入社一年目の弟は、一番の下っ端だからあっちにこっちに呼ばれては抱えきれないほどの雑用を任されるんだと言ってた。それを無我夢中でこなしていると、いつの間にか終電に乗り遅れそうな時間になってたりするって。それでも翌日の朝は元気いっぱい。これが若さかなと思う。
「うん、たまには早く帰れって言われて。あーっ、今日は久々に駅前通りが明るいなっ!」
  そうは言っても、普通に夜道だから辺りは薄暗い。私の落ち込んだ顔もどうやら上手く隠すことができたみたい。余計な心配はかけたくないもの、これでいいんだと思う。
「そう言えば、例の―― なんだっけ、大切な年中行事。あれって、明日が本番なんだって?」
  そんな風に考えてたら、急に話題が切り替わる。
「え、どうして知ってるの?」
「えっとぉーっ、……確か、前に言ってたじゃん」
  そうだったっけ、良く覚えてないわ。それにしても自分のことだけでいっぱいいっぱいなはずなのに、よく思い出したな。
「やっぱ、姉ちゃんの部署が主催だから、明日は滅茶苦茶忙しいんだろ?」
「う、うん、まあね。毎年の通りだと思うよ」
  会社でのゴタゴタのことは家族にひとことも話していない。わざわざ心配かけることもないし、知らないで済まされるならそれが一番いいと思うから。
「そっかー、でも何か今年は余裕があるなあ。これも経験って奴かな?」
  そこでカラカラと明るく笑う。いいなあ、悩みごとなんて全然ないみたいに突き抜けてて。
  たった二年で、何がわかったって訳じゃないんだけど、私も弟くらいのときには夢と希望に充ち満ちていたと思う。何かずいぶん遠くまで来ちゃったみたい、それが今はすごく悔しい。
  ―― ああ、今関くんだって、この子と同じ年なんだもんなあ……。
  彼の真っ直ぐさ、純粋さ。それも「若さ故」なのかなあと思う。難しいことを何も考えずに突き進める強さ、今の私には持ち合わせていない感情だ。
  今夜は月のとても綺麗な夜。こんな日は空がとても遠く見える。そして隣を歩く弟も、その弟と同じ年の今関くんも、みんなみんな私から遠ざかって行くような気がした。

 

つづく (110406)

 

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