―― どういうこと、この人って本気で「王子」を気取っているつもりなのかしら。
とりあえずは「窮地を救ってもらった」ってことになるのに、こんな風に考えてしまう私がいる。そして、もっと問題なのはどうしようもなく失礼な態度を取ってしまってるにもかかわらず、彼の態度がどこまでも変わらないことだ。
「じゃあ、もう少し離れて歩いてくれない? なんなら、追い抜かして先を行ってくれても構わないし」
後ろから見つめられているって、すごく落ち着かない気分。髪の毛で隠れているはずのうなじのあたりにちくちくと視線が突き刺さってくる気がする。
「そうですね、それでは並んで歩きましょうか」
なんでそういう展開になってしまうのかわからない。だいたい隣に来られたら、ますます落ち着かないじゃないの。
「こんなチャンスはなかなかありませんからね、今夜はナイスタイミングでした」
どうでもいいけどっ、横文字を使いすぎだよ。そう思ってちらっとそちらを見上げると、待ってましたとばかりの眼差しで見つめ返される。
「何か、俺に言いたいことがありそうですね」
いちいち、すっごく嬉しそうな顔をするんだもの。本当にどうなってるのよ、この人って。
「……別に」
このまま、彼のペースに巻き込まれることだけは避けたい。わかっているのかな、自分がとんでもなくお邪魔虫であるってこと。
「社内企画の方は着々と準備が進んでいる様子ですね」
一呼吸ののち。今関くんは素知らぬふりを装いながら、いきなり核心に切り込んできた。思わず私の方もがっつりと身構えてしまう。
「―― そんな風にして内部情報を探ろうと思ったって無駄ですからね」
ちょっと突っ込みすぎかなと、言い終えたあとで不安になった。……そういえば私って、この人の頭の中にある企画案を探り出すという使命があったんだっけ。それなのに、今の受け答えはかなり失敗だな。
そんな風に反省していると、私の右側、ようするに車道側を歩いている今関くんがくすくすと笑い声を上げる。
「やだなあ、……そんなことするわけないですよ。こういうことは正々堂々と勝負しないとね。遥夏さんだって、姑息な手段を使う男を好きになってはくれないでしょう?」
まーっ、ずいぶん大見得を切ってくるんだな。まったく、どの口が言うって感じだわ。
「今回は地方都市の住宅地を再開発する計画案を作成するんですよね? 今、いろいろと資料を集めているところなんです。今週末あたりには直接現地まで足を運ぼうと思ってますよ」
この発言には少なからず驚かされていた。
「そ、そうなの……」
わかっているよね、私が所属する「企画開発部」だって今回の社内企画に参加するんだよ。それなのに、いわばライバルである私に対してペラペラと手の内を公表しちゃっていいの?
「でも、一通りの情報は参加者宛てに配布された資料に載っているはずよ。あれだけで十分じゃないの?」
なんなの、生意気に「現地視察」なんて。もちろん、今回の企画で一位になった案件がそのまま社内案として採用になる。ただそこから先は、今度は他社との競争になるのだ。
去年、武内さんの手腕で我が部署に勝利をもたらした事案も、その次の段階でライバル社にもう少しのところで競り負けてしまった。そこに至るには元々の骨組みは変わらないものの、一から案を練り直すという修正作業が行われたにも関わらず。
それくらい難しいことなのに、今関くんはとにかく脳天気すぎると思う。「念ずれば通ず」って格言がそのまま通用するほど、この世界は甘くないんだよ。
「だいたい、そんなことまでして実際の仕事に支障を来したら本末転倒になっちゃうでしょう? 会社だってそこまでは望んでないよ」
そうだよ、営業部の人たちはきちんとその仕事をこなしてくれなくちゃ。実際のプロジェクトの説明は私たち企画開発部の担当だけど、そこに至るまでには営業部の力がなくては始まらない。
「大丈夫ですよ、もちろん自分に与えられた仕事は今まで通りにきっちりこなします。その上で、やれるだけのことをやりたいんです」
何だろう、新人くんが突っ走ってますって感じなのかな。うーん、真っ直ぐすぎてついて行けない気がするのは、私が世間にまみれすぎてしまったってことなのだろうか。
「ま、まあ……それなら、いいんじゃないの?」
あー面倒、早く駅に到着しないかな。さすがの彼も「自宅まで送る」とは言わないだろうし、早くひとりに戻ってホッとしたい気分。
「でも、開発途中で頓挫してしまった新興住宅地って大変ですね。そう言うところが都心への通勤圏に普通にあるなんて」
そう言いつつ、今関くんはふたたび社内企画の話題に戻っていく。まあ、私自身としてはそれほど驚くことでもないけどね。まあ、予想通りに進まない話って結構多い。知識と経験をふんだんに持ち合わせた人たちが集結して臨んでも、思うような結果に至らないことってあるよね。
今回、社内企画の題材として取り上げられたのは、先ほどの彼の話のとおりに東京近県のとある地方都市にある開発が途中で頓挫してしまった住宅地。
市内を縦断している唯一の路線であるJRの駅からは車で十五分は掛かる上に渋滞に巻き込まれることが多々あるというあまり好ましくない山間部を切り開いて造成された区画に幼稚園から中学校までの教育機関も設置され、スーパーマーケットやドラッグストア、郵便局や銀行などの生活に必要な施設や店舗が次々に置かれて行った。
そこまで強気の開発が行われた背景には、別ルートから伸びていたモノレールとそれに平行して都市部へ通じる新しい幹線道路が近く通るという計画があった。しかし、長く続く不況のためもありなかなかそれが予定通りには進まず、よって準備された区画の半分以上が荒れ放題で残っている。さらに、一度はその場所に居を構えた人たちの中にも、あまりの不便さに転居してしまう者が多くいた。
目に余るほどの過疎化、住居者の数が減りそれに伴い治安は悪くなる。そしてさらにその土地を離れる者が増える。地元の自治体もどうにかしてその悪循環を食い止めたいと願うが、そろそろお手上げ状態というところだ。
「まあ、その通りかも知れないね。あまりにもマイナスの要素が多すぎて、話に乗りたいと思う企業もそう多くないと思う。でも実際、そう言う場所って探すと東京近郊にも結構あると思うわ」
高度経済成長、それに続くバブル期。日本中が贅沢で舞い上がっていたという昔話はある時を境に突然弾けて、その後長く暗い冬の時代が訪れた。今を遡ること何十年のことだし、私自身もそれを実際に目の当たりにしたわけではないけど……いくら、少しずつは経済が上向きに戻ってきたとは言っても、まだまだ深い爪痕を残している場所は数え切れないほどある。
「ようやく待望のモノレールも隣の市までたどり着いたし、数年の間には今回の対象地までの開通が見込まれているらしいから、そこを目処にもう一度新しい街を作り直そうということなんだろうね」
今回の企画を取り仕切る部署にいる私は知っている、会社側もこの再開発にはあまり乗り気ではなかったのだ。ただ、この地方都市のお偉いさん、というか市長に就任した人が今の社長と大学時代の親友だったそうで、泣き付かれて断り切れなくなってしまったらしい。
まあ、社長だって商売にならない仕事を義理で引き受けることはできないし、とりあえずは社内企画に取り上げるということで先方もどうやら納得してくれたとか。大人の事情って、いろいろなしがらみがあって本当に難しいね。
「いわば、ゼロからの再出発ですよね。そうなると無限の可能性があるわけですし、なかなか考えがひとつにまとまりません」
うわあ、またキラキラしているよ。私だって、老け込むには早すぎると思うけど、なんだかこの人と一緒にいるとついつい「若いっていいな〜」って思えてきちゃうのが困る。
「ふうん、そうなの。ひとつにまとまらないってことは、現段階でいくつも考えついているってことね?」 そんなのって、ただのはったりじゃないかと思うんだけど。今関くんの口からこぼれてくる言葉って、不思議なほどに説得力があるんだよね。
「ええ、もちろんですよ!」
そして、完璧に言い切っちゃうんだよね。本当にすごい人だよな……。
「まずは自分が実際に暮らしてみたいと思う場所を目指してみたいと思って。でもそうやって考えていくといろんな夢が次々に噴き出してきて大変なんです。楽しいですね、企画を考えるのって。俺も仕事でいろいろな企業を回りますが、先方から話を伺っているうちに自分の考えが喉の奥から飛び出してきそうになる瞬間が何度もあります。でもそれは自分の仕事とは違いますから……とにかく歯がゆくて」
もしかしたら、って思う。
この人って、大企業の歯車のひとつになるのにあまり向いてないタイプなんじゃないかな。もっと小さい、数人でやっているような企画会社だったら営業も企画も全部ひとりでできるし、その方が今よりもずっと楽しいんじゃないかしら。
「それこそ、大きな遊園地を造るとか、そう言うのはどうでしょう。大人も子供も一緒になって楽しめる夢の国が自分の家の近くにあったらいいと思いませんか? その他には、人工雪のスキー場とかスケートリンクとか、そんな施設もいいかなって」
……どうでもいいけど、そんなのってお金が掛かりすぎて絶対に却下だと思う。だいたい、今回取り上げられている候補地は春先に切り花が露地栽培できるほどの温暖な土地だよ? 近くには苺農家のハウスがたくさんあったりして。そんな場所にスキー場なんて……どれくらい維持費が掛かると思うの。
それこそバブル期には都市近郊の人工スキー場とかあったって聞いてる。でもそんなの、とっくの昔に採算が合わなくて閉鎖されているわ。もしかしてそんなことも知らないのかしら、この人って。
「……そうなの、どれも人の気を惹きそうな企画ね」
こんなの、絶対に敵じゃないよ。武内さんがライバル視するような相手じゃないと思う。言ってることは斬新でも、その内容に実現の可能性がなかったら始まらないでしょう……?
「遥夏さんにそう言っていただけると、本当に嬉しいです!」
そんな夢物語を聞いているうちに、気がつけば駅に到着している。最後にもう一度見上げた彼の笑顔は、その日で一番輝いていた。
つづく (101116)
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