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 手のひらがじっとりと汗ばむほどの緊張を、とても久しぶりに味わっている。
  ちょっと表現としては不適切かも知れないけど、それは私にとって「すごく懐かしい」感覚。出番を待つステージの袖、スポットライトに照らし出された夢のように明るい空間を見つめながら、私はいつもギリギリいっぱいの心地でいた。
  それは遠い遠い昔の話、普段は記憶の底に沈んでいて、決して思い出すことはない。だけど、私は今まさにその瞬間に引き戻されている。

 降り立ったのは、五階のフロア。エレベータのドアが開いた向こうは、薄暗い空間だった。狭い廊下、天井に設置された照明はぽつりぽつりの間隔でしか点灯していない。これは球切れなのか、それとも省エネの対策なのか。床のピータイルもざらざらとしていて、隅の方には大きな綿ぼこりがいくつも転がっていた。
「ほら、遥夏ちゃん。こっちだよ」
  普段からよく出入りしているという話は本当のようだ。何の目印もないわかりにくい間取りの中を、武内さんはまったく迷いなく進んでいく。
「あ、……はい」
  エレベータを降りた頃から、今度は手首をきつく掴まれていた。これって、「仲良く手を繋いでいます」という恋人同士のパフォーマンスにはほど遠い。まるで私が逃げないように捕まえているみたいだ。しかも誘導する彼の方がものすごく早足で、引っ張られる私の方はどうしても小走りになってしまう。
  がらんどうの空間に鳴り響くふたつの足音。それがちぐはぐな不協和音みたいに辺りに広がっていく。片側に続いていくすすけた窓ガラスの向こうは隣のビルの壁があるだけ。
  やがて、中の灯りが漏れているドアの前までたどり着いた。何やら楽しそうな騒ぎ声も聞こえてくる。武内さんは軽くノックしたあと、ドアノブに手を掛けた。
「おっ、和之!」
「ようやく来たか、待ちくたびれたぞ!」
  そこは元は事務所のように使われていたと思われる部屋だった。でも、今は机も椅子も、そういう備品は一切なくて、床にはカーペットが敷かれている。
  一斉にこちらを振り向いて口々に話しかけているのは、見たことのある顔ばかり。どれも会社で武内さんと仲の良い人たちだ。全部で五人、たぶんあの夜と同じメンバーだと思う。
「さあさあ、ふたりともそんなところにいつまで突っ立ってないで! 早く座って、座って!」
  彼らはカーペットの上に直接座っていた。缶ビールやスナック菓子の袋、おつまみ代わりなんだろうか、スーパーのお総菜が包装されていたトレーのままで置かれている。
  何というか……だいぶ「出来上がっている」って感じに見えるんだけど。
「え、……でもっ、私―― 」
「ほら、遠慮しないで。彼らもこんな風に言ってくれているんだから」
  ひとこと謝って、それでおしまいって話だったのに。すがるような気持ちで振り返ると、武内さんは私の肩を押して仲間たちの間に座るように促す。そして、自分はと言えば他のメンバーと話しながら少し離れた場所に腰を下ろしてしまった。
「遥夏ちゃんは、飲み物は何がいい?」
「とりあえずビールでいっとこうか」
  両隣の人たちが、やたらと世話を焼いてくれるのも落ち着かない。せめて、武内さんがそばにいてくれたらいいのに、どうしてそんな遠くに行っちゃうの? ええと、……私ってこの人たちに謝罪しに来たんだよね? でも、今はそんな雰囲気じゃないし――
「嬉しいなあ、しばらく野郎ばっかで飲んでたらなあ。久々に女の子が一緒で盛り上がっちゃうよ」
「ほら、遠慮しないで。他にもチューハイとかいろいろあるから、まずはそれをさっさと開けちゃおう」
  ど、どうしよう。何だか、断り切れない雰囲気なんだけど。
  それほど狭い場所でもないのに、何故こんなにくっついてくるの? 満員電車ならどうにか許せるってくらいに密着されて、彼らの煙草とアルコールの混じった体臭が髪や服にまでまとわりつきそう。
  戸惑いつつも適当に話を合わせていると、しばらくして今度はビール缶を持っていた手を上から握りしめられてしまった。
「あれ〜、まだ半分は残ってるね? ノリが悪いのは良くないよ、遥夏ちゃん。ここは一気に、ガーッと行こうか!」
「あっ、あのっ……。その……」
  できれば、もう少しだけ離れてくれないだろうか。ついでに、肩に回した手も外して欲しい。
  きちんと声に出して訴えなければ駄目な状況まで来ていた、なのに私は言葉に詰まるばかり。この人たちは武内さんの大切な友達。それがわかっているだけに、強気に出られない。それに、さっきまでの話だと、この人たちは私や今関くんのことをすごく恨んでいるっぽかったし……。
「ええとっ、私。そのっ、武内さんに話が―― 」
  そう、そうだよ。
  ここに来たのには、はっきりとした理由があったはず。こんな風に飲み会に合流するためじゃない。だいたい、もしもそんな理由だったら、私は頑として断っていたと思うし。
「いいじゃん、和之はあっちで勝手に盛り上がっているし。だから、俺たちも楽しくやろうぜ」
  強引にビール缶を口に押し当てられ、一気に流し込まれる。そうしたら、急に目の前がくらっとした。
「あれ〜、もう酔いが回っちゃった? じゃあ、介抱してあげようか〜」
  ううん、そんなはずない。私、缶ビール一本くらいだったら平気だもの。
「いえっ、大丈夫です。少しの間、休めば……」
  だけど今夜は武内さんとの食事のときにもワインを飲んでいたし、その時点で結構回っていたのかも知れない。自分ではまったく気づいていなかったけど、そうだったのかも。
  ―― 武内さん、どうしてこっちを振り向いてくれないの?
  私をこの場所に連れてきた張本人は、もうすっかり当初の目的を忘れきっている感じ。他の仲間たちと楽しそうにおしゃべりして、私のことなんてどこかに吹き飛んでしまったみたい。
「えーっ、そんなこと言わないで。ほら、少し横になるといいと思うよ?」
  何かが違う、とそのときに感じた。
  その言葉自体は、こちらを気遣ってくれる優しいもの。でも、身体に添えられた手が……いつの間にかそれまでとは違った動きをし始めていた。
「へえ、遥夏ちゃんって肩とか細いねえ。でも、実は着痩せするタイプだったりしない? ほら、胸とか結構ありそうだし〜」
「え、でもわからないぜ。今は性能のいい下着もいろいろあるし。そうだ、ここは真相を暴いてみるとしようか?」
  朦朧とする額のあたりで交わされる会話。何気なく通り過ぎそうになって、でも次の瞬間にハッと我に返る。
「えっ、待ってください! ちょっとっ、……嫌っ……!」
  いつの間にか、上着が脱がされていた。そうなれば、キャミワンピなんてほとんど下着状態。心許ない肩紐に手が掛けられたとき、ようやく大きな声が出た。
「いいじゃん、減るものじゃないし〜」
「いつも和之に見せてるんだろ? だったら、いまさら騒ぐほどのことじゃないよ」
  もちろん、必死で抵抗した。だって、こんなのって絶対におかしい。そりゃ、ここにいるのは同じ会社で働いている顔見知りばかり、でもそれとこれとは話が違うと思う。
「いっ、嫌です! 離してくださいっ、私帰りますっ! 駄目っ、やめて……!」
  でも、男性ふたりに対抗するにはどう考えても不利な状況。そして、そのうちに騒ぎに気づいた他のメンバーもこちらにやってきた。
「うわっ、面白そうなことをやってるじゃん」
「俺たちも混ぜて、混ぜて〜!」
  少し暴れただけで、また頭がくらりとする。そんな状態だったけど、私はもう必死だった。
「嫌っ、武内さん! 武内さんっ、助けてっ……!」
  ―― と、そのとき。
  その一瞬前まで、我関せずという感じでもうひとりの仲間と盛り上がっていた彼が、私の叫び声を聞いてようやくこちらを振り返る。その顔に向かって、呼びかけられる仲間の声。
「おー、和之。お前の彼女が言うこと聞いてくれないんだけど、どーしたらいいかなあ……」
  絶対にこの人たちって間違ってる。でも武内さんは、武内さんだけはきちんと対処してくれるって信じてた。私のこと、大切にしてくれてたもの。いつも気遣って、いろいろと言葉を掛けて励ましてくれたりして。だから……
「そうか、それは困ったな」
  だけど。
  しばしの沈黙のあと、私を含めた皆の注目を集めていた彼は、手にしていたビール缶をけだるそうに揺らした。そしてもうひとりの仲間の手から奪い取った煙草をくわえると、面倒くさそうに煙を吐き出す。
  そんな馬鹿な。武内さんは喫煙者じゃなかったはず。彼が煙草を手にしているところなんて、今まで一度も見たことがない。じゃあ、ここにいるこの人は誰? 姿形は同じなのに、全くの別人なの……っ!?
「いいよ、好きにして。ここ、防音は効いてるんだろ? どんなに騒がれたって、平気じゃん。ついでにいい機会だから、賭けの結果も出しちまえば?」
  ……何、それ。
  そのときの私、言葉通りに「顔面蒼白」だったはず。いきなり他人のように冷たくなってしまった武内さん、そして「賭け」って一体……
「へえ〜、いいのか? 俺はまた、お前が直接試すもんだとばかり思ってたよ」
  何が何だか、まったくわからないままにカーペットの上に仰向けに押しつけられる。次の瞬間、ずっと私にベタベタとまとわりついていたひとりが、上に覆い被さってきた。
「そいつ、いろいろと面倒くさそうだし。お前ら、適当に回しておいて。俺は気が向いたら、あとからゆっくりいただくことにするよ」
  すごく遠いところで、武内さんの声がする。ううん、こんなの彼の声じゃない。でも、だったら、どういうことなの……!?
「そうか、なら遠慮なく」
  気味の悪い笑い顔、おもむろにキャミソールの胸元を鷲づかみにされる。そして、そのまま薄い布は裾まで一気に引き裂かれていった。

 

つづく (110106)

 

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