和歌と俳句

齋藤茂吉

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諦念

橡の太樹を いま吹きとほる 五月かぜ 嫩葉たふとく 諸向きにけり

朝風の 流るるまにま 橡の樹の 嫩葉ひたむきに なびき伏すはや

しまし我が 目をつむりなむ 眞日おちて 鴉ねむりに 行くこゑきこゆ

あきらめに 色なありそと ぬば玉の 小夜なかにして 目ざめかなしむ

この朝明 ひた急ぐ土の 土龍 かなしきものを 我見たりけり

とのゐ

ひと夜ねし とのゐの朝の 畳はふ 蟲をころさず めざめごころに

やまたづむ むかひの森に さぬつどり 雉子啼きとよむ 聲のかなしさ

ひとりゐて 見つつさびしむ あぶらむし 硯の水を 舐め止まずけり

蝌蚪

かへるごは 水のもなかに 生れいで かなしきかなや 浅岸に寄る

くろきもの おたまじやくしは 命もち 今か生れなむ もの怖ぢなむか

まんまんと 満つる光に 生れゐる おたまじやくしの 目は見ゆるらむ

かへるごの 池いちめんに なりたらば 術あらめやと 心散りをり

水際には おたまじやくしの 聚合の 凝り動かねば 夕さりにけり

朝の蛍

足乳根の 母に連れられ 川越えし 田越えしことも ありにけむもの

草づたふ 朝のよ みじかかる われのいのちを 死なしむなゆめ

朝どりの 朝立つわれの 靴下の やぶれもさびし 夏さりにけり

こころ妻 まだうら若く 戸をあけて 月は紅しと いひにけるかも

わくらはに 生れこしわれと 思へども 妻なればとて あひ寝るらむか

ぎばうしゆの 葉のひろごりに 日ならべし さみだれ晴れて 暑しこのごろ

代々木野を むらがり走る 汗馬を かなしと思ふ 夏さりにけり

みじかかる この世を経むと うらがなし 女の連の ありといふかも