和歌と俳句

齋藤茂吉

11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

獨居

七とせの 勤務をやめて 獨居る われのこころに 嶮しさもなし

こがらしの 吹く音きこゆ 兒を守りて 寒き衢に われ行かざらむ

けふ一日 煙草をのまず 尊かる ことせしごとく まなこつぶりぬ

鳴り傳ふ 春いかづちの 音さへや 心燃えたたむ おとにあらずも

こもりつつ 百日を経たり しみじみと 十年ぶりの 思をあがする

折にふれ

過ぎし日の ことをかすかに 悔いながら 春いまだ寒き 墓地をもとほる

墓地かげより 響きくる 銃の音さへや 心にとめて いまぞききける

このあさけ 墓原かげの 兵営の いらかひかれば 夏来るらし

墓地に来て 椎の落葉を 聴くときぞ 音のさびしき 夏は来むかふ

真日おちて いまだあかるき 墓はらに 青葉のにほひを 我はかなしむ

さみだれの 音たてて降る さ庭べに わが稚兒に 見しむる朝や

初夏

ひたぶるに あそぶをさなごの 額より 汗いでにけり 夏は来向ふ

目の前の 屋根瓦より 照りかへす 初夏のひかりも 心がなしも

うちわたす 墓はら中に とりよろふ のしづけさ 朝のひかりに

こもらへば 裏町どほり 遠近に 畳をたたく 音のさびしさ

曇り空

くもり空 うすき煙の 立ちのぼる 夕かたまけて 子の音もせず

鳳仙花 いまだ小さく さみだれの しきふる庭の 隅にそよげり

心こめし 為事をへつつ 眞夏日の かがよふ甍 みらくしよしも

うすぐらき 病室に来て 物言ふ時 わが額のへに 汗いでにけり

ひとときの 梅雨の晴れ間に さ庭べの 軍鶏の羽ばたき 見てゐるわれは

硝子ごし むかひに見ゆる 栗の木の 栗の白花 すぎにけるかも