北原白秋

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寒月は 谷を埋むる 屍に また冴えたらし 或はうごくに

命にて 一人一人と 跳び入りし また声もなし 塹の深きに

息はつめて 死角に対ふ 敵味方 この累の中に 敢て憎みし

春ならぬ 寒靄にしも 日は照りて この低なだり 小松繁かり

春寒き 旅順の港 見おろして ましぐらに駛る 自動車今あり

碧山荘 冬の日向を 来る影の 濃くしづかにて 担ふ水桶

影つけて 日向選り来る 荷かつぎの 肩かへにけり たぶつく水桶

人だかり 大蒜の香の はげしきは 中分きかねつ 旅に来てあり

春山と 山をうづむる 大群の 苦力さもあれや 空は霞まず

軽業の 子らひるがへる 柱より 光る春かもや 山はとよもす

鳴くまでは 白霊の籠 手に据ゑて 爺と居りける 春のひねもす

春なれや 苦力の爺は 呆け笑みて 十尺の煙管 吸ひくゆらかに

くらくらと 牛の頭煮たつ 大釜の 湯けぶりにしも 夕日ま赤き

丸揚げと 揚ぐる魚は 手づかみに 早や投げ入れて 安けきごとし

はげしかる ピゴーの漫画 をかしとし 泣きて遊ばむ 旅にあらぬを

冬来り 城壁の上に 立つ影の 我にしもあるか ひとり見おろす

岱宗寺 咽ぶ胡弓の 音は引きて まだ薄日なり 寒はゆるまず

熊岳城 雁わたるなり 仰臥しに 春寒き外の 砂湯にぞをる

望児山 吹き曝す風の 風さきは 仰向きに臍の 寒き砂湯や

砂湯にて かじる林檎は 喇嘛塔の 風寒きから ひた紅き噛む

春はまだ 河原の砂湯 上寒し 風邪ひかぬまと そこそこあがる

枯野行く 幌馬車の軋み ここえゐて 春浅きかなや 砂塵あがれり

和歌と俳句