齋藤茂吉

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白き餅 われは呑みこむ 愛染も 私ならずと 今しおもはむ

ただならぬ 世さまといへど 物怖 うちはらひたる この風のおと

満州の 国のさかひに 屯して ゐるわが甥は 眼の具合報ず

午前より 寝込むといはば 悲しむならむ しかすがに 言問ふなゆめ

六十に なりつつおもふ 暁の 水のごとくに 豈きよからめ

身みづから 六十歳に なりぬると 眼鏡はづして そばに置きたり

うしほなみ 寄せくる音の おもおもと 豊けき浜に 夜は明けむとす

内にして 鬩ぐこころの 絶えむとき 日いづる国の 曙きたる

いささかの 暇を持ちて 惜しみしが 宮本武蔵の 劇見て帰る

大和田に 茜はさして ひびき来る 潮の浪に 天あらたなり

くぐもれる 物を払ひて 南なる 大門を開け いきほひのむた

海の幸 あふるるばかり よりて来む はや呼べわが背 はや呼べ吾妹

しづかなる 歩みつづけて 医師らは 仁のみなもとを 遠退くなゆめ

秋さむく 富士川先生 みまかりて 空洞のまへに 吾等いま立つ

医の道は つひに覚官的なりと 誰いふとなく 言ふを聴かむか

みちのくの 蔵王の上に 立つ歌碑が 雪にうもれむ 頃となりつも

六十に 吾なりてほろぶる 罪ありや 古りつるものの 消ゆかむがごと

幻と その声がなり 悲しきかなや 異邦の園に 啼きしアムゼル

目ざめたる 寒きあしたぞ 新しく 感じて吾は 二階をくだる

伝統を ありの儘にて 見むとして 努むるものは 幾人もあり

和歌と俳句