和歌と俳句

齋藤茂吉

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わが心 やうやく和み つもる 独逸のくにを 南へくだる

見わたしの 畑に降り かぎりには 黒くつづける 常緑樹の森

牛の二頭 あるひは馬の 二頭にて 耕せる見ゆ 冬の畑に

ひむがしの 空の一ところ くれなゐの にじみたる見ゆ 寒きドイツに

カバン負ひて 小学児童 行く見れば いづこの国も 穉はかなし

かくのごと 朝早くより 働ける 独逸農夫を 見すぐし兼ねき

落葉樹の 木立のなかに 水たまりあり 折々反射の 光をはなつ

丘陵が ゆるくつづきて その上に 林あり墓地あるを 吾が見つつ居る

童子等の 橇の遊びの 目に入りし 小さき家の 一郭も見ゆ

寺の尖塔が見えしとおもふに 大きなる停車場にとまる ドレスデンなり

水量まし ひたにごりたる Elbeの 河を満たして はながるる

ドレスデンを いでて間もなき この河の 対岸の山に 降りにけり

シャンダウを 過ぎてあらはれし 谿谷を 目守りてゐたり 遠き旅人

蒼き空 はつかに見ゆる ところあり 山にかかりて 雪ふりながら

雪ふかき 国境に来て 吏のまへに 整理とどかざりし トランク開く

午後六時半ごろ 空にかすかなる月あることを 気づきつつ居り

二たびの 国境に来て 無造作に わがトランクに 許可の印うつ

月かげの 雪てらす国 正目にし 墺太利に われ入りにけり

やうやくに 月ひくきころ おもほえず 見えわたりけれ Donauの河は

Droschkeと いへるに乗りて われ行けり 石畳なる 冬の夜のおと

公使館 たづね来れば 手続きを すまし居りつつ 同胞にあふ

銀行より 吾は帰りて この国の 紙幣いろいろ 並べ見つつゐる

ドウナウの 流れの寒さ 一めんに 雪を浮かべて 流るるそのおと

大きなる 御手無造作に わがまへに さし出されけり この碩学は

けふよりは 吾を導きたまはむとする碩学の髯見つつ居り

おぼつかなき 墺太利語を わが言ひて 教授のそばに 十分間ばかり居る

はるばると 来て教室の 門を入る 我の心は へりくだるなり