和歌と俳句

齋藤茂吉

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アメリカの 旅人のむれにも まじはりて 沈黙をせず けふの一日は

仏蘭西兵の 往来せるが 目にたちて ラインに添ふ 静粛なる街

シュテーリング教授を訪ねむと したりしが 罷めて ベエトウフエンの家の来ぬ

Beethoven 若かりしときの 像の立つ ここの広場を いそぎてよぎる

公園の ベンチにひとり 腰をかけ Karl Simrockを 手帳にとどむ

ケルン行の 列車も列車も 仏蘭西兵の 占有にして つひに乗り得ず

旅舎なくて 苦しみとほし 旅来つる 事のかずかず 人にか告げむ

ドオムには しばしば入りぬ 敗戦の 悲哀示さぬ ここのドオムに

この大学をも つぶさに見たり 快りし Dr.Wistermannの 名をば記さむ

楽しきめぐりあはせか ケルンに来て はからず 数多くの ゴオホを見たり

仏蘭西の 士官等あまた 往来する 街上の夜に われは孤児のごとしも

ケルンにて 苦しき旅の 最後をば 味はむとして ほとほと寝ず

九ケ月めに 二たび此処に 来りたり ひとり旅して 此処に来りぬ

ウイルヘルム一世陛下の机には 簡素なるもの 並べたまへり

藤巻に 来りてわが食ふ 日本食 白飯といへど 過ごすことなし

大都会に 形式のごと 過ぐれども 空しからずと のちは思はむ

このふたりの 詩人の臨終の 部屋さへも 年ふりながら 人に見しむる

みどり濃き 園のなかなる 家に入り 万国の旅人 おのが名を書く

世の常の 感激に似し こころもて 博物品類の まへに立ち居り

静かなる 書斎と終焉の 部屋と 隣りあひゐしを われ諾ひき

黄色の 部屋にて彼は 八十の 齢のまにま 食事せるなり

静厳なる 臨終なりしと 伝しありて 薬のそばに 珈琲茶碗ひとつ

おのづから 日の要求と 言ひいでし ゲエテはすでに ゆたかに老いき

晩年の ゲエテの名刺なども 遺しあり 恋ひて見に来む 世の人のため

シルレルの 死にゆきし部屋も われは見つ 寂しきものを 今につたふる

ニイチエも この町に来て 果てしかど 好みてここに 来しにはあらず

ワイマルの 青き木立の なかにゐて 短歌ひとつに 暫しこだはる