和歌と俳句

齋藤茂吉

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小間使の 愛しき面よ ウインに来て はじめて見たり かかる少女を

古りし代の 希臘哲人の 胸像が この庭に一並びに 並びてぞたつ

黒き鳥 木立の間を縫ひ 飛ぶ見れば この大き人の 起臥おもほゆ

コペンツルの 丘陵青く 起きふすと 此処よりふりさけて 暫し和ぎゐる

東海の 国よりとほく 来りたる 学徒の吾よ 今日をな忘れぞ

十二万と 注せられたる 労働者の 示威行進にも 目を瞠りゐる

つらなめて 歌うたひ来る 一群に わが知れる車掌 処女も居るはや

行列の 右にも左にも くばり来る 「赤き旗」といふ新聞 求め持ちかへる

寝に帰る のみとおもへど この部屋を 祝福し暫くして 二重の窓を閉づ

日本の 鯉のぼりのこと 言ひし通信に「勇猛の象徴」といふ語を用ゐあり

川上公使夫人と同船にて われ来しゆゑに けふ甘納豆をもらふ

Praterに ひとり来りて 奇術師と 蚕戦争と 泣く小劇と

伯林より 来れる友は 長崎の 同僚にしていつのまにか 髭おとし居り

Maitagの 示威行進は 雨のため 中止となりしか 警官等帰り来る

デモンストラチオン 今日に延びたれば 一しきり 労働者等の 行進つづく

遠足を 好める市民 むらがりて この停車場に 時を惜しめり

いつしかも 青くなりたる 丘こえて Steinhofの 狂院が見ゆ

Kastanien-Alleeの 色は匂ひだち 背向の丘の き起き伏し

この城に 入りて聯想の 糸ひけば 封建の世も 鬱々として

白鳥の 浮きて遊べる きよき水 城をめぐりて 今も湛ふる

太陽の 紅く落つるを 見つつゐて ドナウ流域の ひろきをおもふ

青年の 作家とおもひ ゐたりしに はや大家となりて 動揺もなし

この野郎 小生利なことをいふと おもひたりしかば 面罵をしたり

マリア・テレジアの 御臥処をも ぞろぞろと 見物人は 見て過ぎむとす

戦勝の油絵壮麗に懸けあるも 悲哀をさそふ ひとつなるべし