和歌と俳句

齋藤茂吉

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雪ふれる うへに日の光 さすさまを 小公園に ひとりゐて見る

はるばると あくがれたりし 学の聖 まのあたり見て われは動悸す

門弟の マールブルクを かへりみて 諧謔ひとつ 言ひたまりたり

こほりつつ 流るるにかあらし 豊かなる ドウナウのみづの 音のさびしさ

暖かき 君の部屋にて 時うつり 食にハンガリイの Paprikaを愛づ

業房に 一日こもりて 天霧し 降りくるを をりをり覗く

やうやくに 部屋片づけて 故郷より 持てこしたぶさぎを 一纏にす

朱硯の 小さきを荷より 取りいだし 机の片隅に 置きて見て居り

巴里にて 一たび聴ける この歌劇 けふのゆふべに 二たび飽かず

朝はやく 日本公使館に 祝言を まうしよれより 自らの部屋をさがす

太陽の 紅くしづむを 第九区の 石階のうへに しばらく見たり

雪ふかく 積める山べの 日のひかり 新しきドイツ語を 幾つか憶ゆ

業房に 業いそしめば この都市に 君と遊ばむ 時を無くせり

ひむがしの 国のはらから あつまりて 本つわが国 祝ぎあひにけり

学者らを まのあたり見て 業績の つながるさきを たぐるがごとし

ウインの 第一歩より君の みなさけを われ蒙りぬ 忘るとおもふな

おもひまうけず 老先生 そばに立ち 簡潔にわれを 励ましたまふ

わが作りし 脳標本を いろいろ 見たまひて曰く Resultata positiv!

きのう大学の講堂にて聴きし学者等の報告を 二三行づつ書留む

童子らを つれて遊べば 東京に のこし来りし 茂太おもほゆ

Mauerの 青山に一日 遊びたる 耶蘇復活の 日曜のよる

業房は 今日も閉ぢたれば 寺々の 楽を聴きつつ 市内を出でず

年ひさに 恋ひて慕へる 大き人の 御手をにぎりて よろこびやまぬ

わが業を 励ましたまひ 堪忍の 日々を積めとふ 言のたふとさ

「四週間業績を羨むことなかれ」かくのごとくも 諭したまへる