手のひらへ落ちし雨にも口あてぬものなつかしき折の夕ぐれ
月見草雨に濡るるがいたげやと庭を見さして夕より寝し
夕立の雨ぞ降りこし上つ毛の野に飼ふ馬の走りかふごと
ひるがへる葉の間より白き浜見ゆるへちまの夏の雨かな
しらじらと刺繍のおかれしここちする秋近き日の園の雨かな
子等のため傷つけられし白樺も青桐も立つ夕立の中
風吹けばはなればなれに花うごくつりがね草はあぢきなきかな
下賀茂の森のぬけ路つゆ草が水車の音にわななける路
東京は地獄の火など思はるる明るき夏の夜となりしかな
こころにも花を刺繍しぬうすものの衣をめづる夏の女は
朝顔はわがありし日の姿より少しさびしき水色に咲く
くろぐろと鉄をよそほひ生りいでし茄子を打ちぬあけがたの雨
わが船の汽笛にちるもはかなけれ紀の勝浦のあけぼのの雲
大神の伊勢に隣りて山青き常世の国の蓬莱に来ぬ
隣家へ柑子買はんと声かくる牧師の家の春の夕ぐれ
熊野にて雨の降る日に唯だ一人柑子を食めばあぢきなきかな
遥かにもこしとぞ思ふ天の世のものと柑子の山の光れば
あかつきの熊野の山の片はしと黒髪うつる船ばたの水
いにしへの帝王達もよぢにけむ路糸のごと山を這ふかな
空くらく山と川とのいちじろく青きあたりの一もと椿
旅人を河原の鴉見騒ぎぬ能野の路の春の夕ぐれ
百艘の船はあれどもほのかなる灯も見がたくてうぐひすぞ啼く
静かなる熊野の山と水のぞく小き空は黒く塗らまし
熊野路の黒き家並も磯に立つ波もかなしや旅の女に
ふもとより頂に来て千年を経しとぞ思ふ山のしづけさ