和歌と俳句

齋藤茂吉

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

沙河対陣の 一変化として 劇しかりし 黒溝台の 名をぞとどむる

吾にては 立見尚文 彼にては グリツペンブルクの 名をぞとどむる

ひとときは 焔をなせる ミシユチエンコの 能働線を おもはざらめや

わが兄の 戦ひたりし あとどころ 蘇麻堡を過ぎて こころたかぶる

一月の 二十五日は 渾河の水 すでに氷りて をりたるらむか

八師団の 兵の築きし 土堡一部 残れるがうへに 暫したたずむ

我軍の 書附いくつも 保存せり 登殿印は 七十になりて

「大鼻子」の せまり来れる 方嚮と 眼せまりて 登殿印立つ

わが左翼に 雷なして せまりたる ミシユチエンコ軍を 語りて止まぬ

劇しかり この戦を おもふとき 渾河を越えて 入日のなごり

うねりつつ 流れて来る 渾河には 此岸たかく 彼岸ひくし

向うより おりて来れる 馬車 渾河のみづを たちまちわたる

黒溝台の 夜ふけにして 高粱酒の 透明のみて 酔ひはきはまる

こもごもに 心に迫る ものありて 黒溝台の 夜をぬむらず

機関銃の おとをなじめて 聞きたりし 東北兵を 吾はおもひつ

太陽の 紅くいでしを 恋しみて 暫しして登と 名残ををしむ

幾千といふ鴉らの 飛ぶを見て 渾河のながれ おもほゆるかも

馬車はげまし トウ二堡に たどりつき 饅頭くひぬ 村人と共に

平康里の 広告ありて 名を示す 翠里、金鈴、雅琴、等々