和歌と俳句

齋藤茂吉

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車房より 見えし時のま 哈爾濱近き 地のかぎりに 雪は降りける

寒き日の 一瞬に命を 殞したる 伊藤博文の ことをおもひき

北満ホテル 第三十五号室の 鏡にて 伸びしわが頤鬚を 見つつつまむ

此処に来て まのあたり吾の 接したる 雪ぐもり空 雪の降る空

まづ此処に 旅の心を しづめしむ 露西亜中央寺院 支那極楽寺

をとめ等の 顔佳きに会ふ 今日の日よ 白系露西亜人 ここにつどへる

とことはに 悲しき碑の 傍に 櫻を植ゑし ことを聞き居り

キタイスカヤ街を歩きて 混合の 都市の動きを 今日見つるかな

露西亜語を 日ねもす聞きぬ 処女等の 往反ふちまた われも往きつつ

カウカサス的饌のシヤシリツク、ツベリヤンク、カリニエル等並びに透明ウオツカ

夜ふけてより 露西亜をとめの 舞踊をば 暗黒背景の うちに目守りき

日本街に 日本の児童 歩きゆく 心うごけば 吾は見て立つ

立寄りし 哈爾濱日本小学校 その暖房は 豊けくおもほゆ

幽かなる もののごとくに 此処に果てし 三瓶与十松君を弔ふ

おのおのの 事に従ふを 見むとして 十五分ゐたる 東支鉄道庁

あひ群れて 日本の児らの わらふこゑ 聞きつつしばし 涙ぐましも

松花江を 吾等わたりぬ 日の光 あをじろく低きが 背向になりて

この河の 黒龍江と なるころは ひろびろとして 激ちなからむ

松花江の ひくき汀の 砂にゐて うたかたのかたまり 流るるを見たり

傳家甸の 街よりさほど 遠からず 日本人墓地 露西亜人墓地