和歌と俳句

齋藤茂吉

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身近くに 支那語の尻ひく 発音を 聞きてよりはや 幾日なるか

貧民街 ナハロフカをも 歩きたり すべて行ずりの 物とおもはず

夫人を介して 短詩チヤストシユカをいふ スキターレツ氏の ふとき大き手

哈爾濱の 南市場に 疱瘡の ある女の子らを ニ三人見つ

おなじ街区に 猶太寺院 二つもあるを 心にとめて 吾は入りゆく

ニコライスキイよりの 鮭も並びぬ 山雉が つるされ並びゐる傍に

いそがしく 街を見まはり 踏み減りし 石畳道を 南へ来るも

フイリポワの 露西亜食店に 午食せる 二時間のちに 去りゆくわれは

松花江を 汽車わたるとき 白き泡 おびただしくも 流れて居たり

かりがねの 群れて眠らぬ 葦原の しげりは遠く つづくその果

遠々し 青きいろせる 一ところ 青きながらに 氷りたらむか

哈爾濱を 北へむかへる 野のはてに ゆふ雲紅く なびきつつあり

たひらけき 国内とおもふ たまゆらに よく見れば 国内おほに起伏す

対青山 いまし過ぎたり 北の空 はつかに蒼く 哈爾濱をさかる

かりがねの わたらふ時は 空昏く なるばかりとふ そのかりがねよ

この駅に 兵の屯の ありしかば 少年兵の いで入るが見ゆ

あひ群れて 空をわたらふ 雁の道 さだまり居りと いふがあはれさ

空ひくく かりがねわたり 飛ぶときは 羽ばたく音も みな聞こゆとふ

山ひとつ なき空の西 くぐもりて ほのかに紅し 日は入るらむか