和歌と俳句

齋藤茂吉

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チチハルに 雁飛ぶときは 太陽の 光くらむこと 二たび聞きつ

大部隊の 馬賊夜中に たちまちに 正陽河まで せまりし話

泰来仁、同義慶、同豊、大羅新寰球貨店等々がある

埠頭街 二たびよぎり ソビエツト小学校の まへにたたずむ

大きなる 支那餅を売る 店があり 時無きゆゑに ただ見たるのみ

ハルピンの 公園来れば 楡の葉の 青くすがれて 残る幾ひら

ナハロフカ区に 近づかむとして このあたり 垂氷の長き 家見て過ぎつ

棺商が 折々目だつ 木慶与徳局、徳順成木局等の名を持つ

東支鉄道 従業員の 住宅にも 防備トオチカ 銃眼等見ゆ

暫くは 眼をつむり 居たりけり 汽車あたたまり 南へ走る

平安も 孤独にあらず まだ暗き 汽車に目ざめて 何かおもはむ

つらなめて 日の暮るるまで 通りけむ 轍のうへに 雪降りにける

もの慣れし 様ならなくに 東に あかねは凝りて 低き国土

紅き雲 あやしきまでに 厚らにて 棚びくときに 山ひとつ見ず

大国を 旅ゆく朝や ものものしく 紅きなりたる 雲がなびかふ

朝くらく 哈爾濱を立ち 雪ふれる 冬野のうへに 日は出でむとす

耀きて 雲をいでたる 朝日子を 稀なるものの 如しとて見つ

長春に 近づく頃は かたまれる 木々見えそめて 親しくなりつ

露西亜語の 三語五語 おぼえしを 片仮名をもて 書きとむるなり

雪降りて 白くなりたる 朝道が 向うの村へ 入りつつ行ける

東京に 居れば朝寐を するゆゑに かかる太陽 見ることもなし

朝明に 長春に著き すぐさまに 三十分の 時後らしむ

長春の 停車場に来て 日本語の 電話のこゑを 聞ける親しさ

長春の 広場を日本童子等が しきりに道草 食ひつつ行けり

満洲里の はつえといへる 女の名 友にたづねて 手帳にしるす