和歌と俳句

齋藤茂吉

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雪の野に 黒きもの見ゆ あはれあはれ 流の岸の 土としおもふ

降りつづく 雪のあひだに 眼にし沁む 黄に枯れはてし その原のいろ

戦争の あとを著明にて しな側の 壕のみだれも 暫くつづく

木材を 積みつつあれば わが国の 駅のおもひす 数秒の間

羊牛 馬の放牧 あまた見て 旅もはるけき 思ぞわがする

ひたぶるに 汽車は走りて 海の面 和ぎたる如き 平野みえわたる

穂の白く 枯れたる草が はつか見ゆ かかるものさへ 身に沁むものを

平野より 高くのぼらぬ 太陽を 囲みしごとく 虹立つあはれ

国境の 小さき町に 厳しかる 「人のあはれ」を われに聞かしむ

慌しと 吾はおもふに 窓外の すでにくらきは 日は入りしかも

国境ふ 小さき町に 穉等の 日本の歌を 聞きつつ泣かゆ

はるかなる 旅路のはての 一夜寐に 湯婆をもて 腹をあたたむ

国境に 遂に来りて すき透る ウオツカを飲めば 一夜身に沁む

わがそばに 眠らむとする をみなごよ 露西亜語少し 語り聞かしむ

葯房の 店員なりし とこそ聞け 心中したる 墓ひとつあり

私の こころにあらず 日本人墓地の小さき いやはての町

をやみなく 雪の降る日に 日本人共同墓地に 吾と君と二人

墓標 小さく立ちて 戒名の 無き儘なるが 多きあはれさ

いやはての 国の境に 住みつきて をとめの身さへ 此処に終りき

春になれば< 日本人墓地の ほとりにも 雲雀が群れて 啼きのぼるとふ

ものの音は はやも絶えたる 国境の 町の一夜を 心しづめむ

ダライ湖に 群れてわたらふ かりがねの 声もきこえず 冬は深まむ

ものの音も 絶えはてにけり 満洲里の 夜ふかき空は 氷りつらむか

空低く ひとつ浮べる 白雲は いづらに靡く ことさへもなし

この朝け 空にうかべる 雲ひとつ ほびこることも 無くて過ぎなむ