和歌と俳句

齋藤茂吉

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東京

東京に 歸り来れど こもりゐて 二重橋外に いまだも行かず

いひ繼げる カチドキ橋の たもとより 房州がよひの 船出づるなり

をさな兒は たたみし布團 越えむとす いくたびにても ころがりながら

おそらくは 東北縣の 米ならむ 縁にかがみて 籾選りゐるは

聞こえくる サイレンの音 三年まへの 警報の音 さながらならずや

ひくく出でし 東京の月 まどかにて 吾のこころの ゆくへ知らずも

わら灰を つくりて心 しづまるを 歸りし家に 感じつつ居る

山の 南町なる 焼けあとを 恐るるごとく いまだ行き見ず

年老いて 心たひらかに ありなむを 能はぬかなや 命いきむため

敗戦の のちに生れし わが孫を つくづくと見つ 東京に来て

老身の ひとり歩きを いましめて 友は日暮れぬうちに歸りぬ

さびしくも ひびくか八十三の 年たけし 養母のための 挽歌ひとつ

背に負はるる この穉兒よ わが死後の いかなる時世に 大きくならむ

金の五月

この世界 歎じわびたる 冬過ぎて われをおほはむ 五月の金のひかり

小田急に 乗りて新宿に 出で来しが 間なく暇なく 息ぶくならずや

うつくしき 顔がにほひて まぢかくを とほりて行けり われはまたたく

セガンチニの 境界の山 くだりきて 野のうへに 少女ひとりたつ

とほき世の ことといへども 舜の妃が 涙を垂れし たかむらあはれ