和歌と俳句

齋藤茂吉

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根源の代

軍隊が 全くなくなり あかあかと 根源の代の ごとき月いづ

供米を かたじけなしと 言ひにけり 粗を選りつつ 粗を噛みつつ

かくのごとく ナシヨナルリードルを おもひいづ 野の鼠の苦 家の鼠の苦

罪業は 生きながら消え はしけやし 夢の中にて あらはれきたる

われ病んで 仰向にをれば 現身の 菊池寛君も 突如としてほとけ

春雲

春の雲 葉山の根ろに たつらむと きさらぎ盡の 朝におもへる

東京に かへり来りて 川のべの 梅が香しるき ほとりにぞ居る

つくづくと おもひいづれば 雪しろき 大石田なる 往還のうへ

最上川 ながれゆたけき 春の日に かの翁ぐさも 咲きいづらむか

味噌の香を 味ふなべに みちのくの 大石田なる 友しおもほゆ

家ごもり しづまり居れど うつせみの 老びとなれば 病むときに病む

界隈に 啼くうぐひすを 飼鳥と 錯まり聞きし この三朝四朝

あつまりて 歌をかたらふ 楽しさは とほく差しくる 光のごとし

かしの實の ひとり心を はぐくみて せまき二階に 老いつつぞある

いやさらに 老いしがごとく 出でくれば 三月盡の 道氷りけり

行春

竹賣りに ふれくる人の こゑ聞けば おぼろおぼろと 春ゆかむとす

あゆみ来て 老いらくの身は 山ぎしの 葉のなかに とぷりと入りぬ

眼を閉ぢて 貴妃をおもへば 心たひらぎ 雑沓電車に はこばれて行く

カストリといふ酒を飲む處女子らの 息づかひをも 心にとめず

天上より 神のごときが いたいたしき 國歩言はば 吾うなじを垂れむ