和歌と俳句

齋藤茂吉

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浅草の 観音堂に たどり来て をがむことあり われ自身のため

この現世 清くしなれと をろがむに あらざりけり ああ菩薩よ

新年に いよいよなれる こころよさ 霜とくる音 ちかく聞こえて

冬の日の 正午を過ぎて 東京の 開閉橋の こなたに居りぬ

よぼよぼとして わが訪づるる 内苑の 孟宗竹林に 風のおとする

三月の 木の芽を見れば もろもろの いのちのはじめ 見る心地して

あかつきの 衣手いまだ 冷ゆれども 心熟する ゆふまぐれどき

牧の馬 いばゆる聲の きこえくる 三月盡に われ山越えむ

ゆふまぐれ 雨ふりくれば 東京の 築地界隈の もの音を聞く

聖路加病院のまへの 掘割の 水あきらかに あげ潮のとき

すみた川の 川原の上に かたまれる 感慨ふかき 古雲も見ゆ

築地の かたへ来りて 歩みとどむ 三十分にても 安閧フ氣味

園いでて かへり来れば いちじゆくの 熟せる果の 触覚あはれ

みづからの 作りし歌を 賣りにゆく 消なば消ぬがの その歌ひとつ

活動は 戦争のための ものならず 勝鬨ばしの 名をとどむれど

かにかくに 吾の齢も 年ふりて 萬年の玉に しぐれ降りくる

冬の日の 布團の中に ひそまりて 短き安息を 惜しみてゐたり

ひとりゐて おもひなやみも 無くなれと 念じつつ居る おふけなきかなや

春風が たえまなく吹き 蕗の薹 もえたつときに 部屋に塵つもる

過ぎゆきし 佛教にても 或るときの さんげの快は したるるごとし