和歌と俳句

若山牧水

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来馴れつる 磯岩の蔭に しみじみと 今日し坐れば の香ぞする

くれなゐの 貝は寄らなく 磯の藻の 黒きばかりに 秋更けにけり

秋の浜 かぎろひこもり 浪のまにまに 寄り合ふ小石 音断たぬかな

秋の日かげ 濡れし小石に 散り渡り 寄せ引く浪を 見つつ悲しも

白砂に 穴掘る小蟹 ささ走り 千鳥も走り 秋の風吹く

沖辺より 崎にたなびき 秋かぜの 夕焼雲と なりにけるかな

夕焼の 雲たなびける 崎の山 そのかげの海に 魚とびやまず

ふるさとの 秋の最中を ふと思ふ おもはぬ空の 有明の月

芝山に 登れば見ゆる 秋の相模の 霞み煙れる をちの富士が嶺

近山は 紅葉さやかに 遠つ山 かすみかぎろひ 相模はろばろ

芝山の 榊の蔭に 風を避けゐつ ふと立ちたれば 見ゆる富士が嶺

いただきの 風をさぶしみ 秋の山 巻葉櫟の かげをやや下る

もみぢ葉の 照りは匂はね さやさやに 秋浸みわたる ここの芝山

来て見れば 松ばかりなる 片山に 浸み照る秋日 麗らなるかも

夕照るや 落葉つもれる 峡の田の 畔のほそみち 行けば鴫立つ

静心 ひとめをいとひ 秋山の 楢葉もみぢの 根を踏み登る

妻にさへ ものいふ惜み 静心 たまちこらへて 秋山に来し

楢山の 下葉のもみぢ ときをりに 風渡りつつ 酒煮え来る

額に触るる 楢葉のもみぢ 摘み取りつ 唇にふくみて いふ言葉無し