和歌と俳句

齋藤茂吉

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花につく 赤小蜻蛉も ゆふされば 眠りにけらし こほろぎのこゑ

とほ世べの 恋のあはれを こほろぎの 語り部が夜々 つぎかたりけり

月満ちて さ夜ほの暗く 未だかも 弥勒は出でず 蟲鳴けるかも

ヨルダンの 河のほとりに 蟲鳴くと 書に残りて 年ふりにけり

てる月の 清き夜ごろを 蟋蟀や ねもころころに 率寝て鳴くらむ

きのふ見し 千草もあらず 蟲の音も 空に消え入り うらさびにけり

あきの夜の さ庭に立てば 土の蟲 音はほそほそと 悲しらに鳴く

なが月の 秋ゑらぎ鳴く こほろぎに 螻蛄も交りて よき月夜かも

かぎろひの 夕べの空に 八重なびく 朱の旗ぐも 遠にいざよふ

岩根ふみ 天路をのぼる 脚底ゆ いかづちぐもの 湧き巻きのぼる

蔵王の 山はらにして 目を放つ 磐城の諸嶺 くも湧ける見ゆ

底知らに 瑠璃のただよふ 天の門に 凝れる白雲 誰まつ白雲

岩ふみて 吾立つやまの 火の山に 雲せまりくる 五百つ白雲

遠ひとに 吾恋ひ居れば 久かたの 天のたな雲に 鶴とびにけり

あめつちの 寄り合ふきはみ 晴れとほる 高山の背に 雲ひそむ見ゆ

八重山の 八谷かぜ起る 時のまや 峡間みなぎりて 雲たちわたる

たくひれの かけのよろしき 妹が名の 豊旗雲と 誰がいひそめし

いなびかり ふくめる雲の たたずまひ 物ほしにのぼりて つくづくと見つ

ひと國を はるかに遠き 天ぐもの 氷雲のほとり 行くは何ぞも

雲に入る 薬もがもと 雲戀ひし もろこしの君は 昔死にけり

ひむがしの 天の八重垣 しろがねと 笹べり耀く 渡津見の雲