和歌と俳句

齋藤茂吉

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鹽原行

晴れ透る あめ路の果てに 赤城嶺の 秋の色はも 更け渡りけり

小筑波を 朝を見しかば 白雲の 凝れるかかむり 動くともせず

関屋いでて 坂路になれば ちらりほらり 染めたる木々が 見えきたるかも

おり上り 通り過がひし うま二つ 遙かになりて 尾を振るが見ゆ

山角に かへり見すれば 歩み来し 街道筋は 細りてはるけし

馬車とどろ 角を吹き吹き 鹽はらの もみづる山に 分け入りにけり

山路わだ 紅葉はふかく 山たかく いよよ逼り来 わがまなかひに

つぬさはふ 岩間を垂るる いは水の さむざむとして 土わけ行くも

とうとうと 喇叭を吹けば 鹽はらの 深染の山に 馬車入りにけり

湯のやどの よるのねむりは もみぢ葉の 夢など見つつ ねむりけるかも

谷川の 音をききつつ 分け入れば 一あしごとに 山あざやけし

山深く ひた入り見むと 露じもに 染みし紅葉を 踏みつつぞ行く

三千尺の 目下の極み かがよへる 紅葉のそこに 水たぎち見ゆ

かへりみる 谷の紅葉の 明らけく 天にひびかふ 山がはの鳴り

ふみて入る もみぢが奥は 横はる 朽ち木の下を 水ゆく音す

うつそみは 常なけれども 山川に 映ゆる紅葉を うれしみにけり

うつし身の 稀らにかよふ 秋やまに 親しみて鳴く 蟋蟀のこゑ

もみぢ原 ゆふぐれしづみ 蟋蟀は この寂しさに堪へて鳴くなり

もみぢ照り あかるき中に 我が心 空しくなりて しまし居りけり

しほ原の 湯の出でどころ とめ来れば もみぢの赤き 處なりけり

あまつ日は 山のいただきを 照らしたり ふかき峡間の 道のつゆじも

橋のべの ちひさき楓 かへり路に なかくれなゐと 染めて居りけり

もみぢばの 過ぎしを思ひ 繁き世に 生きつるなべに 悲しみにけり

天そそる 白くもが上の いかし山 夜見の國さび 月かたぶきぬ