和歌と俳句

齋藤茂吉

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なみだ落ちて 懐しむかも この室に いにしへ人は 死に給ひにし

自からを さげすみ果てし 心すら 此夜はあはれ 和ごみてを居ぬ

しづかに眼をつむり給ひけむ 自づから すべては冷たくなり給ひけむ

涙ながしし ひそか事も 消ゆるかや 吾より秋なれば 桔梗は咲きぬ

きちかうの むらさきの花 萎む時 わが身は愛しと おもふかなしみ

さげすみて 果てしこの身も 堪へ難く なつかしきことあり あはれわが少女

栗の實の 笑みそむるころ 谿越えて かすかなる灯に 向ふひとあり

かどはかしに 逢へるをとめの 物語 あはれみにつつ 谿越えにけり

死に近き 狂人を守る はかなさに 己が身すらを 愛しとなげけり

照り透る ひかりの中に 消ぬべくも 蟋蟀と吾と なげかひにけり

つかれつつ 目ざめがちなる この夜ごろ 寐よりさめ聞く ながれ水かな

朝さざれ 踏みの冷たく あなあはれ 人の思の 湧ききたるかも

秋川の さざれ踏み往き 踏み来とも 落ちゐぬ心 君知るらむか

土のうへの 生けるものら 潜むべく あな慌し 秋の夜の雨

秋のあめ 煙りて降れば さ庭べに 七面鳥は 羽もひろげず

寒ざむと ひと夜の雨の ふりしかば 病める庭鳥を いたはり兼ねつ

ほそほそと こほろぎの音は みちのくの 霜ふる國へ とほ去りぬらむ