和歌と俳句

齋藤茂吉

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いつしかも 月の光は さし居りて この谷間より 立つ雲もなし

みちのくの 湯殿の山に 八月の こほれる谿を わたりつつゆく

常ならぬ ものにもあるか 月山のうへに けむりをあげて 雪とくる見ゆ

わが父が われを導き この山に のぼりしころは 腰まがり居りき

をさなくて ここに来りし こともへば われの命も 年ふりにけり

うつせみの 願をもてば 息づきて 山の谿底に 下りきたりける

ひむがしの 蔵王を越ゆる 疾きかぜは 昨日も今日も 断ゆることなし

七月の つよき光の さしそめし 草むらなかに 草刈らむとす

さすたけの 君がなさけは 信濃路の 高山の蕨 けふぞ持てこし

秋になりし濠に何千といふ 魚族しろく 浮きあがりけり

身まかりし 君の年よりも 十あまり 吾の齢は 多くなりたり

木の芽だつ 春のゆふべと なりぬれば 心しづかに われひとり居らな

旅を来し 一人ごころに 松島の 瑞巌寺にて 砂の道踏む

うつせみは 寂しきゆゑに たづさはり 君にすがらむ 世にし亡しとも

あかつきに 小芋を入れて 煮る汁の 府中の味噌は 君がたまもの

もの冷ゆる ころとはなりて 朝々の 薄明より 鳥は群れ立つ

獨逸書の こまかき文字は 夜ふけて 見む競なし 老いそめにけり

いのちせまりて 子規の書きける 俳諧を けふ三越に 吾も来て見つ

人だかりの 後ろよりわれ のびあがり 正岡子規が 遺物見にけり

秋日さす 都會の道に われおもふ 一國のことは 豈たはやすからず

わが庭の 草をなびけて 暑ぐるしく 野分の風は 日ねもす吹きぬ

心こめし 西洋の學の 系統も すでにもの憂し 秋の夜ごろは

毬ながら けふおくりこし 吉備の栗 秋ふけゆかむ 山しぬべとぞ

アララギは かすかなりとも 言あげて 新大君に つかへまつらく

もろともに 生れこしわれ等 あらた代の 大君のへに 空しくいきじ