雲うごく 檜原の山を くだり来て 繭煮るにほひ 身にもこそ染め
上野の くにに来りて あまつ日の 傾くかたの 山に入りゆく
ひぐらしの こゑ透りつつ あかつきの 青き山峡 ゐる雲もなし
うつせみの 生のまにまに おとろへし 歯を抜きしかば 吾はさびしゑ
口なかに にぶき痛みを おぼえつつ 青山どほり 横ぎるわれは
家ごもり 久々にして 街ゆけり 青山どほりの 祭すぎつつ
おのづから 生ひしげりたる 帚ぐさ 皆かたむきぬ あらしのあとに
野分すぎて 寂びたる庭に 薄の穂 うすくれなゐに いでそめしころ
秋ふけし 日のにほひだつ 草なかに 金線草も うらさびにけり
月かげの しづみゆくころ 置きそふる 露ひゆらむか この石のうへ
あかつきの いまだをぐらき ころよりぞ 國のまほらに 砲を打ちつる
道のべに 黄いろになりし くわりんの實 棄ててあるさへ こよなく寂し
にほひけむ 紅葉もすがれ はてにけり 友をうづめし 信濃の山に
かぎろひの 春まだ寒く 君死にて 小草かれゆく 冬は来むかふ
霜いたく おきし小草を 踏みつつぞ 心を遣らむ 寂しかれども
機関銃の 音もこだます みづうみを よろへる山の かげより聞こゆ
われひとり 歩みきたれる 山かげに 霜の白きを かむる草々
墓のべに あららぎの木を 植ゑむとて 涙をながし 語る友はや
信濃路は あかつきのみち 車前草も 黄色になりて 霜がれにけり
山々に うづの光は さしながら 天龍川よ 雲たちわたる
國の秀を 我ゆきしかば ひむがしの 二つの山に 雪ふりにけり
寒水に 幾千といふ 鯉の子の ひそむを見つつ 心なごまむ
やま峡の 道にひびけり 馬車は 秋刀魚をつみて 日ねもすとほる
ここに見る 赤石白根の 山脈は 南のかたに 低くなりつも
むかうより 瀬のしらなみの 激ちくる 天龍川に おりたちにけり
道芝の 霜をいたしと 思ほえて 光あたらぬ ところ歩みつ
霜ふれる 野のほそ川に 青々と 藻のふらぐさへ かなしきものを
みすずかる 信濃の國や 峡とほく 日は入りゆきて なごりの光