和歌と俳句

齋藤茂吉

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こほろぎは 夜もすがらこそ 鳴きにけれ 野分のふける 山の峡より

山あるる ころとしなりて 岡のへの 砂飛ぶときに ひとりものいふ

赤楝蛇 みづをわたれる ときのまは ものより逃げむ さまならなくに

みづからの 咳嗽のおとも こだまする 山陰に来て 胡桃つぶせり

たまくしげ 箱根の山に われひとり 薄を照らす 月にあおばむ

つき草は はかなき花と おもへども 相模の小野に 見ればかなしも

たうきびの いきほひに立つ さま見れば 都をいでて 来にしおもほゆ

箱根路の すがしき谿に 山葵うゑ 異ぐささへも ともにひいでつ

わきいづる 水を清しみ うつせみは 山葵をここに やしなひにける

みづうみの 空ひくく飛ぶ やんまあり このひたぶるを 誰見つらむか

山の湖の なぎさの砂に かすかにて しき寄る波も わが心かなし

みづうみの なぎさに遊ぶ をさなごは 山をうたがふ ことさへもなし

楽しみて 見て居たり 山に湛ふる みずうみの上を やんまの飛ぶを

いつしかも 相模のくにの 秀に立ちて かげともに見む 富士のたかねは

富士がねに 屯する雲は あやしかも 甲斐がねうづみ うごけるらしも

大きくも くすしき山の 富士がねを 雪消て青き ときに見にける

箱根きて 長尾峠の ひとときは 青富士がねに 雲いでそめつ

いつくしき さまにもあるか 富士がねに 雲はこごりて 靡くともなし

たらちねの 母は北ぐにに みまかりて ひとたびだにも この山を見ず

むらさきに 晴れわたりたる 富士がねを この国の秀に 見むとおもへや

富士がねを 飯くふひまも 見む人ぞ この山のうへに 住みつきにける

不二がねは 大きくもあるか 白雪の 降りつもるころにも 人来つつ見む