和歌と俳句

齋藤茂吉

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谿あひの ひらけむとする 時しもあれ 鷹とびたるに こゑをあげたり

おほほしき くもりにつづき 心こほし 相模の海に 遠なぎさ見ゆ

吹きすぐる 疾風のあれか 丈ひくく 山の常陰に 木々古りてをり

この谿に 馬酔木の古木 生ふれども 花のことごと はやも過ぎたり

ここにして あらはれ見えし 夏山ゆ 足柄山は つづきたるらし

林木の なかに赤肌の 木のあるを あやしくおもひ 触りつつをり

ひとときも ためらはず来て 早雲山の 峰のわたりの 汗を落せり

強羅より のぼり来りし 山陰の 苔のしめりを 踏みつつぞゐる

なだれたる 山の常陰を くだりきて 大涌谷の いぶきを聞きぬ

かすかなる 花さきて居り ときありて 硫黄のいぶき かかる木むらに

夏ふけし山中に来て 気をしづむ人にたちまじり居りけるわれは

上山の まちに鍛冶の おとを聞く 大鋸をきたふる おとをこそ聞け

ひがしより 日のさす山を 開きたる 葡萄の園も おとろへむとす

秋ぐもは 北へうごきぬ 蔵王より 幾なだりたる 青高原に

見るさへに きびしかりけり むらくもは 宮城あがたの 方に退きつつ

たかむらは おぼろになりて 秋ぎりの 過ぎゆくかたに 日は落ちむとす

くろずみて さびたる秋の 山がひに いく屯せる 低き家むら

上山の 秋ぐちにして 紫蘇の実を 売りあるくこゑ 聞くもしづけく

裏戸いでて われ畑中に なげくなり 人のいのちは 薤のうへのつゆ