罌粟色の更紗の切を手ずさびに小口より切る秋の朝かな
日ぐらしが濡色の音を立つる時湯ぞ浴びまほし石の湯槽に
水に居る根白き蘆にあらずやと身のおもはれぬ秋の朝風
やがて見ん銀杏の黄をばほのめかす秋のはじめの豆のさやかな
秋来る窓と机の一尺のはざまにありてものをこそおもへ
夕の日はてなき磯の砂染めて悲しき風の波よりぞ吹く
初秋や雁来紅のちるやうに赤とんぼとぶ夕ぐれの風
末の子が讃美歌うたふふしまはしあやにく立つる浪の音かな
シベリヤに流されて行く囚人の中の少女が著たるくれなゐ
かず知らず静脈のごとうちちがひ氷る小川と鈴蘭の花
やごとなき白銀いろの冬宮かはた亡霊の住める家居か
四つ辻の薔薇を積みたる車よりよき香ちるなり初夏の雨
噴水が風に散るなり君が被るましろき絹の風に散るなり
君と行くノオトル・ダムの塔ばかり薄桃色にのこる夕ぐれ
ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟
セエヌ川よき船どもにうち向ひ橡の並木の青き呼吸吹く
森の奥薔薇の花のあるかぎり水色の羅を被くたそがれ
木によりて匂へる薔薇秋山の蔦にまさりてはかなき薔薇
物売にわれもならまし初夏のシヤンゼリゼエの青き木のもと
生きて世にまた見んことの難からば悲しからまし暮れゆく巴里
旅びとの涙なれどもなごやかに流るるものか夜の巴里に
馬車にある芝居がへりの夏の夜身の程よりはくやしからざり
柵に来て番附売がもの言ひぬ芝居の前の夏の夜の月