月もまた危き中を逃れたる一人と見えぬ都焼くる夜
みづからの乱れ心の相をして都の半燃え立ちにけり
誰見ても親はらからのここちすれ地震をさまりて朝に到れば
空にのみ規律残りて日の沈み廃墟の上に月上りきぬ
傷負ひし人と柩が絶間なく前わたりする悪夢の二日
人あまた死ぬる日にして生きたるは死よりはかなきここちこそすれ
露深き草の中にて粥たうぶ地震に死なざるいみじき我子
都焼く火事をふちどるけうとかるしろがね色の雲におびゆる
こころをばいまだ知らねど妖雲のたつみの方に盛り上りたる
ニコライの四壁の上の大空を雲ぞ流るる覗きに寄れば
きはだちて真白きことの哀れなりわが学院の焼跡の灰
十余年わが書きためし草稿の跡あるべしや学院の灰
ニコライの塔のかけらにわれ倚りて見る東京の焦土の色
東京の銀座の跡のやけつちの横につらなる地平線かな
かくてなほ無限の時をもつことに誇る自然のうとましきかな
鈴虫がいつこほろぎに変りけん少しものなどわれ思ひけん
はてもなき大地の月夜そことなく浮きただよへる虫の声かな
しろがねにいまだ至らず初秋はつりがね草の色といはまし
こほろぎが清く寂しく鳴きいでぬ雲の中なる奥山にして
あるが中に恋の涙のわれもかうわれの涙の野のわれもかう
美くしく我等の前に撒かれたりアポロの符のひなげしの花
手の上の砂に勝らずとく尽きし夏の初めの夕がたの雨
おりたちて水を灌げる少年のすでに膝まで及ぶ向日葵
秋草の山のぼる馬花を折りかかへて降る浅間の少女
夏の夜の紫玉の中に休らへり白鷺のごとうつくしき月