和歌と俳句

若山牧水

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ただひともと 伐り残されし 種子松の 喬くしげれり 春となる山

雪のこる 諏訪山越えて 甲斐の国の さびしき旅に 見し桜かな

をちこちに 山桜咲けり わが旅の 終らむとする 甲斐の山辺に

見わたせば 四方の山辺の 雲深み 甲斐は曇れり 山ざくら咲く

折しもあれ 春のゆふ日の 沈むとき 樅の木立の なかに居りにき

樅のかげ 雨もやみにき 立ちいでむ、おお蓑虫の 濡れてさがれる

植物園の 松の花さへ 咲くものを 離れてひとり 棲むよみやこに

やるせなき おもひの歌と なりもせで 植物園に 暮るる春の日

葉を茂み しだれて地に 影の濃き この樫の樹に 夏の来にけり

はつ夏の 常磐樹のかげの なつかしや この蔭出でじ 日の照るものを

立ち出でつ とほく離れて 見るときの かの樫の樹の 春はさびしき

初夏の 曇りの底に 桜咲き居り おとろへはてて 君死ににけり

午前九時 やや晴れそむる はつ夏の くもれる朝に 眼を瞑ぢてけり

君が娘は 庭のかたへの 八重桜 散りしを拾ひ うつつとも無し

病みそめて 今年も春は さくら咲き ながめつつ君の 死にゆきにけり