和歌と俳句

齋藤茂吉

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川口は あかくにごりて 居りたるが 海潮のなかに 入りてあとなし

時のまと おもはざらめや 谷こゆる 風音きこゆ 直ぐ目のしたに

海上に せまりて尽きし 山のあり そこを越えつつ 人ゆくらしも

信濃路の みなみの空か 幽かなる 山のいただきに 雪ぞ降りける

寂かなる 冬の光に 照らされし 国の起伏を 直ざまに見つ

天のはら 澄める奥処に ひとつらに 氷れる山や 見えわたるかも

あしがらは 冬さび居れど 信濃路の 赤石白根に 雪ふりにけり

飛行機の ゆれを感ずる 時のまに 白雲のなかに 虹たちわたる

丹沢の 連山に飛行機 かかるとき 天のもなかに 冬日小さし

北ぞらの 越後境と おもほゆる 雪ふれる山に 日こそ照りけれ

白くもの なかを通りて たちまちに 大菩薩澤を ひだりに見たり

うねりたる 襞にふかぶかと 陰ありて 山のじやくまく 見れど飽かぬかも

雪ふりて 日にかがやける 富士がねは うごくがごとく 傾きて見ゆ

山裏は 白雲の凝り 見えそめて みづのみなかみ 寂しくもあるか

飛行機の なかに居るゆゑにや 暫しだに 懺悔横著の こころ無かりき

赤く小さき 五重の塔を 眼下に見て こころ宗教荘厳の形式に及ぶ

西北より 発して今しがた 銀座の上空を過ぎしは あはれあはれ 看忙のためならず

けふは晴れ透りたる空を飛べども この山にとどろく 雷震もありぬべし

谷合を ひとときに見て 飛行すれば 現象の此岸に 心かなしむ