齋藤茂吉

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越のくに 和倉の浜に しほはゆく 湧きいづる湯に 一夜浴みにき

いましめの きびしき山を くだり来て あわただしくも 君は帰りぬ

能登のうみ 漕ぎたみゆきて 立山に こもれる雲を 見しを忘れず

うつせみは 斯くのごとくに あり経るや 君なきあとに もの思ひいづ

海のうへに 星かたむける 宵闇は 寂しきものと 思はざりきや

きさらぎは いまだ寒きに 石かげの 韮は群がり 萌えいでむとす

ありし日の 父のごとくに 行春の 日ごろとなれば 腰いたむらし

ちちのみの 父が老いつつ ありしごと 我が腰けふも 痛みてのびず

南かぜ 朝明より吹き いたいたし 銀杏のわかば 庭に散りしく

もえいでて 幾日たたねば あはれなる 銀杏は散りぬ 疾きみなみかぜ

味噌汁を つつしみ居りし 冬過ぎて いまこそは食はめ やまの蕨を

芍薬は すでにふふむに かたはらの 柘榴の赤芽 いまだ青まず

ひとときは 吾の心も 清しかり 庭の草生に 虫いであそぶ

古くさは うらがれながら 新草の 杉菜は茂し わが目のもとに

身にひそむ 病しあれば この春は 青き韮さへ 剪ることもなし

山かげの 水田にものの 生きをるは 春ふけにして ひそむがごとし

きぞの夜の 一夜あらびし 雲はれて 黒姫のやま 妙高のやま

鳥がねも 人をおそれず 新草は しげりしげりて 道をうづみぬ

群山の 青きを占めて このあさけ 一夜とどろきし 雲はれにけり

妙高の 裾野うごくと 見るまでに 南のかたに 雲は晴れゆく

和歌と俳句